フィジー遠征レポート
- outise
- 2月18日
- 読了時間: 27分
更新日:2月22日
1月13日から始まった遠征は23日目のモアラ島にて警察からの中止要請により、全行程の3分の1を残して撤退することとなりました。
警察の対応に今でも納得はしてませんが、再開に向けできることはやりきったので後悔はありません。
今回は私たちにとって苦い経験となりましたが、次にフィジーの海を旅する人へ伝えることが使命だと思いますので、ここに旅の記録を残します。
【フィジー遠征 ラウ諸島縦断】
日程 2025年1月11日~2月15日
漕行日数 17日
漕行距離 600㎞
メンバー
運天遼(Sunwave Kayaks)
佐藤瑛彦(Islandstream&パタゴニア神戸)
南平純(OUTISE)
使用艇庫
WATER FIELD KAYAKS
シメスタ5分割×1艇 海燕5分割×2艇
協賛
北原様
内川様
久保田様
クラファン特別協賛
kobu. jp様
有限会社 O-creatinon 様
多田様
宮本様
宮崎様
全ての支援者の皆様

1月11日
前日にキビーと合流し成田へ向け高速を走らす。
朝運天を8時にホテルにピックアップし買い出し。
10時半からカヤックの梱包を始めるが、やはり時間がかかる。
なんとか終わらせて、13時に空港へ向かう。
梱包には3時間は必要だが毎回バタバタになり学習能力がないとつくづく思う。
一個につき9500円のオーバーチャージを取られてしまい、2個で19000円の出費となかなか痛いが仕方ない。帰りも必要とのこと。
16時半発の飛行機でナンディーへ向け出発。
あまりゆっくり眠れず。

1月12日
朝4時半に到着。結局ほとんど寝られず。
到着早々にイミグレで引っかかり別室へ。
入国書類に適当にホテル名を書いたが、みなホテルが違うことを不審に思われたらしい。
事情を説明し、無事入国。
まずは出発地のタベウニ島へバスと船で移動したいが、事前に正確な情報を得られずいきなり途方に暮れる。
タクシードライバーに詳しい人がいたのでナンディーの街中にある船会社(ガウンダーシッピング)のオフィスへ連れて行ってもらう。
無事中継地点のスバスバという街までのチケットを購入1人65ドル。
荷物が多いので超過で3人分100ドル。
チケット購入や両替に時間がかかりすでに疲労困憊。
物価は日本と変わらず安飯もない。
節約のため昼にバナナと食パン食べる。
13時出発のバスでまずはナトビまで5時間。
そこから船で4時間かけナボウワルへ。
そしてまたバスに乗り換えてスバスバまで3時間。
5分割カヤックを乗り換えのたびに運ぶのがきつい。
結局到着は夜中の2時。全然眠れていない上に空腹と疲労でグロッキー。
このまま朝6時にタベウニ島行きのバスが来るとのことでバス停で野宿。

1月13日
同じバスに乗っていた親切なおっちゃんに起こしてもらいバスに飛び乗る。1人20ドル。
おっちゃんがいなかったら恐らく昼まで寝ていただろう。
バス停でホットドッグとコーヒーを買いながら1時間半バスに揺られてブカへ。
ブカからはまた船に乗り換え2時間でようやくタベウニ島へ到着。
節約のため飛行機に乗らなかったことを後悔。
フラフラになりながらもなんとか組み立てを終えて出発。
まずは買い出しをするため近くの街まで1キロ。
上陸したすぐ目の前のドライビングスクールのスタッフに街まで送ってもらい買い物。
何もかもが高くて結局大した食材は買えず。
さすがに腹減ったのでチキンとポテトを買い食い。
ビーチに戻ると、ドライビングスクールの人たちが水とウッドデッキを自由に使っていいと声をかけてくれた。
お言葉に甘えてゆっくり過ごさせてもらう。夕飯は節約のためインスタントラーメンのみ。
今年は痩せそうだ。
夜は近所の人にオカガニを食わせてもらう。
日本人は珍しいのか色んな人が集まって賑やかに。みんな良い人ばかりで助かった。
23時頃就寝。睡眠不足解消ならず。

1月14日
寝不足の体に鞭を打ち4時半起き、6時出発。明日の島渡りのためにタベウニ島の南側の集落に移動。島の南側に出るとリーフにかなり大きなうねりが当たっているように見える。
波が高いと集落に入れない可能性があるため、予定変更してタベウニ島の東にあるガメオ島の南の小さな集落ナンデイーノへ。35キロ。
到着するなりジョーの家に招待してもらい紅茶をご馳走になる。
5家族27人が暮らす小さな村。
みなファミリーで広々と芝生が広がり綺麗でとても気持ちいい雰囲気の村。
各家庭はソーラー発電とプロパンガスを使用。
奥さんはタコの木の葉を編んでゴザを作っている。
村の男性は近くのリゾートへ働きに行ったりと仕事はあるようで、生活にも余裕を感じる。
ジョーはこの村のチーフで今日は面倒を見てくれることになった。
夕方になると子供達が海で遊ぶ。世界中どこに行っても海沿いの村は同じような光景が見れることが微笑ましい。
ようやく旅が始まったことを実感。
夕飯はカレーをご馳走になり、リビングで泊まらせてもらった。
本当は60キロ漕いでヤガタ島へ行く予定だが、まだ体が慣れていないため無理せず、明日は東に35キロのナヌク島を経由して別のルートで進むことに。
1月15日
朝4時半起き。
朝から起きてカステラと紅茶を用意してくれた。至れり尽くせりだ。
海の情報を教えてもらい、6時過ぎに出発。
リーフの中を漕ぎ東から沖へ。
昨日より波はサイズダウン。標高が低いので見えないが風も微風で涼しく快適。
しかし途中から向かい潮となり時速は4キロ台までスピードダウン。
ナヌク島が見え始めてから3時間漕いで、13時過ぎに到着。35キロ。
ありえないくらい白くて美しい砂浜で天国のような島だ。
リゾートホテルがこの島の所有者であるため許可をもらう。
今はリニュアル中で滞在はスタッフのみ。外にテント張らせてもらえることになった。
プールに飛び込み潮抜き。そのままウッドデッキで昼寝して最高。
まさかの夕飯はスタッフのおじさんが手料理を振る舞ってくれた。夕飯は期待していなかった分、テンション爆上がり。
腹一杯食べさせてもらい8時に就寝。
夜中は木々が大きく揺れる。果たして明日は漕げるのだろうか。不安で寝つけなかった。

1月16日
4時半起床。近くの木にいたアジサシとカツオドリにテントが糞まみれにされた。
ホテルスタッフ曰く、今日向かうネイタンバ島は違う宗教の人が住んでいて彼らのサンクチュアリとなっているため上陸には事前に許可がいるらしい。
どんな人が住むのか詳しくはわからないが、実際行ってみて上陸する前に住人に確認しろとのこと。
スタッフに見送られ6時過ぎに出発。
昨日の海から予測すると、恐らく今日漕ぐ海域も全体的に西に流れている。
南東に向かう自分たちには厳しいコンディションと予想される。
20度ほど東寄りに進路を取りなるべく西に流されないように漕ぎ進む。
昨夜強く吹いた風は出発する時には落ち着いた。あとは上がらないように祈る。
途中逆潮で5キロ台まで速度が落ちたが、その後は問題なく進めた。
13時過ぎに無事ネイタンバ島のリーフの中に到着。35キロ。
リーフ内の海が綺麗だったのでひと泳ぎ。運天がゴシキエビとシャコガイ獲る。
浜に近づくとフィジアンの乗る巡視船がすぐ来て声をかけられる。
話を聞くとcovit19からこの島は許可なく入れないとのこと。人がいないビーチも一切上陸できない。
みなマスク着用で異様な雰囲気。
その後マネージャーを連れてきたが、まさかの白人男性だった。
隔絶された伝統が残る島なのかと思っていただけに白人が出てきて萎えた。
何かのカルト教団か、金持ち達の隠居暮らしかはわからないが、怪しすぎて関わらない方が良さそうなので即撤退。
疲れているが仕方なく南に20キロ離れたマリマ島へと移動することに。
15時半だが日没までには間に合いそう。
追い払ったカヤックが心配なのか、マリマ島へ上陸するまでずっと教団の船が伴走していた。
最後に船から釣ったカスミアジをもらった。
18時に上陸。結局57キロ漕いでなかなかハードな1日であった。
夕飯は海の幸を堪能して腹一杯で眠る。
かなり疲労はあるが腹が満たされることで充実感はある。

1月17日
5時半に起きるつもりが目覚ましが鳴らずに6時前起床。
みんなゆっくりしていたので助かった。
朝からゴシキエビのラーメン。
8時半に出発。
北東風が少し強いので北寄りの進路80度でバヌアバラブー島を目指す。
風は思っていたより弱く問題なし。後半南に少し流されたが予定通りバヌアバラブー島へ到着。
今日は距離を漕がないので無人島のビーチでティータイム。
ギラギラアイランドの円錐カルデラの海をのんびり漕いでダリゾニの集落は上陸。30キロ。
村長に挨拶するとこのエリアに入るには許可証が必要であることが判明。
ポリスが後で来てくれることに。
村では新しい診療所がオープンするらしくセレモニーを行っていたので、挨拶がてら参加。
初めてカヴァを飲む。
その後エメリーに招待され、風呂と寝床と飯を与えてもらう。
海が目の前で眺めも良くて良い集落だ。
民族的にもタベウニ側とは違うようで容姿も少しポリネシアン系が混ざっているように思える。
ここから南はさらに面白い出会いが増えそうな予感。

1月18日
6時起床。
朝飯ご馳走になり、8時頃にロマロマへ向け出発。
許可証はロマロマでポリスに確認することに。
11時頃にロマロマ手前のモアナゲストハウスに到着。
昨日のカヴァパーティー仲良くなった女性が待っていてくれて世話になることに。
ロマロマへ歩いて20分移動して、ポリスに会うが許可証は問題ないとのこと。
買い出しを済ませゲストハウスに戻る。
シャワー浴びて夕飯はラムシチュー。
その後は23時半くらいまでカヴァパーティー。
フィジアンはみんな陽気で良い夜だった。
明日はメルギブソンの所有するマゴ島へと行くことになったが、果たして上陸を許可してもらえるのか?

1月19日
6時起床。世話になったモアナゲストハウスのスタッフに挨拶をして8時に出発。
マゴ島を目指すが、もし拒否された場合はその先のチチア島へ40キロ追加で漕がなければいけない。
無風で今日はとにかく暑い。熱中症気味でペースが上がらない。
10時頃にようやく微風が吹いてクールダウン。
12時前にマゴ島へ到着。25キロ。
村に挨拶に行く前に先にこっそりビーチに上がり一旦休憩。
浜には大きなクジラの骨があった。クジラの歯は装飾品として高値で取引される。
恐る恐る村に上陸して挨拶をすると海の目の前に住む男性のジョーが出てきた。
鉄砲で撃たれるかと思ったが、思いのほか気さくな感じで全く問題なさそう。
責任者のクバを呼んでもらい事情を話すと部屋と食事を用意するから泊まっていけとのこと。
ビーチでキャンプするつもりでいたのでまさかのおもてなしに驚く。
部屋は島の真ん中にある集落のゲストハウスを一棟貸し。わざわざ掃除もしてくれたみたい。
夕方はドライブに連れて行ってもらう。
夕飯は社員食堂。
現在は管理会社に委託してそこの従業員がこの島に住んでいる。
元から島に住んでいる住人もいる。
管理会社がインフラを整え仕事も与えているので、島の人にとっても有り難そう。
のんびり楽しく島暮らしをしている。
メルギブソンが2005年に買い取るまでは日本企業が所有していたとのこと。
現在海の見える丘に新居を建設中で見学したが想像もつかない金持ちだ。
まさか遠征中にシングルベッドでゆっくり眠れる日が来るとは。

1月20日
6時起床、朝スタッフに海まで送ってもらい8時に出発。南にあるティティア島へ。
無風でとにかく暑い。追い潮が唯一の救い。
何度も体に水をかけるが、発狂しそうな暑さで集中できない。
熱中症にならないように水と飴でしのぐ。
休憩が多かったわりには追い潮に助けられて6時間でナトカラウ村到着。40キロ。
到着するなり昼飯をご馳走になる。
初めてパンの実を食べるが美味い。
デザートはワカロロというタロ芋のスイーツ。
この島はオーガニックアイランドと呼ばれているそうで、無農薬で野菜を育てている。
食べ物も西洋の影響をうけずに伝統的な料理を今も食べ続けていることが、他の島とは大きく異なる。
今日もまた村にあるゲスト用の家に泊めてもらうことに。
夕方大人たちがタッチラグビーをしていたので観戦。
その横でおばちゃんがココナッツオイルを作っていたので見せてもらう。
正月のセレモニーで行うギリカパ(太鼓)を体験させてもらう。
自分達がこの村に来た初めての日本人らしく、村に人たちも大変喜んでくれた。
夜もまた伝統料理。
パンの実のカレーとタロ芋、タロ芋の葉と魚のココナッツミルク煮。絶品。
ようやく昔ながらの暮らしを守り続ける村を訪れることができて、とても貴重な体験ができた1日だった。

1月21日
6時にホラガイの音で起床。
ロータイドで出発は潮が満ちるまで待つことに。
朝食はパンをご馳走になる。本当に何を食べても美味い。料理上手な家にお世話になれてとてもラッキーだ。
9時前に見送られ出発し、ナヤウ島を目指す。
連日の疲れが来ているのか眠すぎて集中できない。
穏やかな海に微風が気持ちよく気づけば眠っているという状態。
昨日の暑さに比べれば風が少しあるだけでとても体は楽だ。
島まで10キロのところで大きなイルカ2頭にあう。イルカがいるということは潮が速いことを意味するので警戒すると案の定、南への流れに捕まる。
なんとかリーフ内に入れたが、油断していたら流されかねない。
15時半に北側の集落に上陸。
すぐさま子供達が集まりだし、村長の家へ案内してもらう。
高台にある村長の家につくと、意外と村長は塩対応。(後日別の村に住む人に村長が我々と撮った写真を嬉しそうにFBにアップしていたことを教えてもらう。きっと人見知りなのだろう。)
子供達がココナッツを採って食べさせてくれた。
1人の少年は馬に乗りナタを振り回してかなり野生児。
うちに来いと言ってくれた男性にお世話になることに。偶然にも野生児の父親だった。
奥さんは第三子出産のためスバにいるとのこと。
息子2人と現在3人暮らし。妻不在のため家は散らかり気味。
職業はメカニック。島の主要産業はココナッツのプランテーション。
一袋で25ドルとなかなか生活は厳しそうに思える。
今まで訪れた村では1番質素な暮らしをしているように思える。
台所を使わせてもらい自炊。カツオを大量に頂いたので豪華な夕飯。
家に泊まれと言ってくれたが、虫が多く暑そうで絶対眠れないので、丁重にお断りしてビーチの近くでテント泊。
村によってこれだけ生活が違うのは興味深いところ。

1月22日
6時起床。
家で朝飯を作らせてもらって9時半出発。
40キロ先のレッケンバー島のトボウ村を目指す。
昨日の南寄りの流れを警戒して進路は110度。
思っていたより風は強くなく漕ぎやすい。
連日の漕ぎの疲れでみな集中力が低下しやすい。
3時間漕いで120度に。少しずつ南に流れているが問題ない。
6時間半で西側のビーチへ上陸。村に上陸する前にひと休憩。ココナッツとチョコクッキーを食べてのんびり。
再出発し、トボウ村のビーチを探すが良いところがなく、隣村のレイクバ村に上陸。
上陸後すぐ親切なおじさんに出会い、トラガニコロを呼んでもらう。
面倒見の良いトラガニコロの息子、サキが家に招待してくれた。
風呂入って、飯食って、カヴァ飲んでファミリー達と楽しい時間を過ごす。
居心地も良く、ゆっくり休んでいけと言ってくれたので、明日は初めての休暇にすることに。
時間を気にせず遅くまで起きれるのは久しぶりのことで嬉しい。今日も良い出会いがあって助かった。

1月23日
休日。朝は目覚ましなくダラダラ起きる。
朝食を頂き、その後もまたダラダラ。
漕がなくていいのがこんなに幸せなことかと思える。
近所のおばちゃんが家に招待してくれてティータイム。
フィジアンチョコレートケーキだと伝統料理のソロプリと呼ばれるお菓子をもらう。イヴィという芋のような野菜からできている。味は自分の口には合わなかった。
午後からはサキが村を案内してくれるとのことで、スカートを巻いて散策。
ラウ諸島のこと、島のこと、村のこと、とても詳しく教えてくれた。
何軒かまた招待してもらい、昼食やお土産を沢山頂く。
みんな本当に優しい人ばかり。
村散策後はおじさんにトラックで隣町の自宅へ案内してもらう。
自宅の裏で野菜や果物を作っていてパイナップルを頂く。
安全祈願のお祈りもしてもらう。
帰宅後、コミュニティーセンターで夕方に地元の大人がやっているバレーボールに参加するもボコボコにされる。
この旅で最後であろうビールを飲み、隣村のスターリンクのWi-Fiをゲット。
夕飯食べてカヴァ飲んで就寝。
休みのはずが色々と動いて疲れたが、リフレッシュできてとても良い思い出。

1月24日
のんびり起きて準備と近くのストアで菓子の買い出し。
サキが庭に運んでいたカヤックをまた海に戻すためトラックを呼んで運んでくれた。
最後に家族みんなで朝食を頂く。
いつも我々の航海の安全を祈りの言葉として祈ってくれている。
11時頃、サキに見送られて出発。
2日間何から何まで本当に世話になった。また必ず会いたいし、ままこの村にも家族と来たい。
向かい風で速度が上がらないが、1日休んだだけあって何も疲れない。
4時間17キロで無人島のアイワ島に到着。
運天は昨日のバレーで手首負傷したのかペースが上がらない。
世話になったレイクバ村の人々は昔戦に敗れこの島に住んでいたらしい。
ビーチは思っていたより狭くなんとか上陸できるがテントは張れないのため、海岸登った森の中に張ることに。
快適な島ではないが一晩我慢する。
1時間半ほど魚突きをして、ブダイとトガリエビスを夕飯に食べる。
自分は坊主。一年に一度、この旅でしか潜らないのでもう突ける気がしない。
風が気持ちよく快適な夜。
ゴキブリだらけの場所にテント張り就寝。
満潮はビーチが狭いため夜中カヤックが流されていないか確認。

1月25日
5時起床、6時半すぎに出発。
昨日からの風は少し弱くなり漕ぐ分には問題なさそう。
島の南を抜けてオネアタ島を目指す。
向かい風と波で舳先が波に刺ささり減速するため、試行錯誤しながら漕ぐ。
このカヤックの特徴も分かってきて体にフィットしてきた感じがする。
11時半頃に西側のワイコリ村に上陸。25キロ。
村は綺麗に整備されている。
トラガニコロに挨拶に行き、村長に滞在の許可を頂く。
今日はトラガニコロの家で面倒見てもらえることに。
水浴びて昼飯食って学校の校庭の木下でWi-Fi使って昼寝。
天気予報を見るとこの先天気は不安定になる予報。
のんびり各島を漕ぎ回ろうと計画していたが、90キロの横断を安定しているうちに漕ぎ終えたいので、予定変更して明後日までに横断のスタート地点のカバーラ島を目指すことに。
夕飯は魚のココナッツ煮込み。カヴァを頂き就寝。
1月26日
6時起床、朝飯を頂き8時頃に出発。
目指すコモ島は195度だが風は東風のため180度で漕ぐ。
昨日からの風が続きリーフを出ると少しうねりが。
30分ほど漕ぐと東の環礁の裏に入りうねりはなくなる。
途中大きなクジラ?イルカ?が数頭前を横切る。
風は東北東にふれたため漕ぎやすい。
12時にコモ島到着。30キロ。
村に行く前にビーチでティータイム。
13時に村を訪れトラガニコロの案内で村長に滞在の許可を得る。
その後ショップのwifiを使ってゴロゴロ。
夕飯はショップの家族がチキンカレーをご馳走してくれた。
船でガイド業をやっているという人に出会って、天気予報と地図のアプリが欲しいということで、便利なwindyとmapsmeを教えるが少し後悔。
今まで便利なアプリがなくても感覚で海に出れていたのなら、それが1番大切なことだ。
余計な文明を与えて、培われた感覚を失うのは勿体無い。以後気をつけよう。
明日は50キロ弱漕ぐので早めに就寝。

1月27日
5時半起床、小雨の中テント撤収。
7時半過ぎ出発。
風は思っていたより東。視界は20キロない。
220度のカバール島を200度で目指す。
さらに風は強くなりナムカ島の南側から大きなうねりが入り、横波を受けながら風下に流されないように辛抱強く漕ぐ。
4時間漕いで針路を210度に。10度違うだけでかなり楽。
その後問題なく無人島とカバール島の間を抜けて北西の集落に15時に到着。
7時間半ほぼノンストップで47キロ。
あの風と波の中、みんな集中して漕げたしコース取りも完璧だった。
上陸後にトラガニコロに挨拶に行き村長の元へ。
シブシブにカヴァを買って欲しいといわれ70ドル。
村を訪れるための大切なしきたりであるため仕方ないが、かなり大きな出費でテンション下がる。
気さくな村長に許可をもらい、トラガニコロの家で風呂入ってテント張らせてもらう。
夕飯はパンの実と魚とココナッツのシチュー、サツマイモを頂く。
その後Wi-Fiゲットして天気予報確認。
明日の日中はゆっくり休んで、夜中出発でトトヤ目指すことに。
夜中から激しい雨風。
1月28日
1日雨で気温も低い。
フィジーを縦断するような形で低気圧が通過する。
予報を見る限り行けそうではあるが、少しでも進路がずれたら風は早い時間から吹きそう。
かなり賭けな部分が大きいため明日の出発は見合わせる。
1月29日
朝起きると快晴で無風。
出発しないのか?と聞かれるが、流石にこの時間からは出られない。
この天気なら行けたかもしれないと思うと、なんだかガッカリ。
午後から魚突き。途中から泳ぎ釣りにも挑戦したが釣れる気はしない。相変わらずの坊主。
運天が雑魚を沢山とってくれたので、トラガニコロにプレゼントし調理してもらうことに。
夕方からは雨雲が来て一気に嵐に。
不安定な天気。やはり出なくて正解だった。
まだ時間はあるので気長に待つしかない。こんな所では死ねない。
1月30日
本日は北風爆風。
明日は北東、明後日は北。一旦風は落ちる予報なのでなんとかトトヤ島へ移動したい。
ルートは2つ。
一つ目はここからトトヤ島90キロ、明後日モアラ島40キロ。
もう一つはここから25キロ北にある無人島で一泊して、そこから直接モアラ島105キロ。
結局明後日の予報が北風ということで無人島からモアラ島は風向きが合わないため、トトヤ島へ目指す。
また明後日も地味に風が強いため、モアラ島へは向かい風が予想される。風があればトトヤ島の村に移動して停滞する。
いよいよ出発となると一気に緊張してきた。
果たして時化は明日の朝には収まっているのだろうか?予報がもし外れたらどうしようか。考えだすとため息しかでない。
今日は出発の準備をして早く寝ようかと思ったが、ラストナイトだということでカヴァパーティーを開いてくれたので付き合うことに。
みんな踊ったりとテンション高めだが、緊張しているので全然笑えない。
結局9時半就寝。その後もカヴァパーティーは続き、賑やかな声で眠れず。

1月31日
3時半起床。
雨音とパーティーの音が気になり結局睡眠不足。
新月でとても暗い。
トトヤ島へは21時着予定だが、この暗さで無事辿り着けるのか心配。明るいうちになるべく近づきたい。
5時ちょうどに出発。
薄暗いがまだほとんど見えないため、平衡感覚を失いちょっと船酔いする。
風は弱く予報通り北東。昨日きたうねりがまだ残っていて少し漕ぎにくい。
トトヤ島は260度だが280度でなるべく北寄りの針路で狙う。
最初の船酔いと睡眠不足で一向に体調は良くならない。せっかく作ったおにぎりも口にできない。カロリーメイトと飴でしのぐ。
10時頃に雨雲へ突入。風は一瞬強くなるが問題なし。
やはり天気は不安定。この先の天気が心配。
12時、40キロほど漕いでようやく240度にトトヤ島がハッキリ見えた。
かなりいい感じで北寄りに来れたので、もう南へ流される心配はない。
あとは徐々に南寄りに針路を変え島に近づく。
14時から17時までが船酔いのピーク。嗚咽しながらも気合いで乗り切る。
意識は朦朧。幻覚見える。
30分ほど最後尾で寝ながら漕いだらようやくら復活。
19時半には暗くなり始め、各自ヘッドライト準備して夜漕ぎ仕様に。
暗くなるとまた船酔いが始まる。
20時頃には真っ暗。島の形がぼんやり見える程度で他に何も分からない。
目を開けても瞑っても違いがわからないくらい暗い。
自分達が島に近けているのかも分からず、果てしなく遠く感じた。
20時半サーフに突入してリーフ内へ。サイズは小さいが急に後ろで割れる波を2回ほどくらった。
21時前にようやく沿岸に到着するも、満潮のため浜がない。
とにかくどこでもいいから上がれる場所を探すため南へ移動。暗さと船酔いと寝不足で夢見ていた。
9時半に小さな浜に上陸。93キロ16時間半。
15時間は船酔いしていたので、過去一キツかった。
みんなも最後の暗闇での2時間はかなり消耗していた。
ビーチに上がり30分ほど放心状態。
蚊は多いし雨降ってきたし、疲れた体に自然は容赦ない。
加えてビーチ狭すぎてどこで寝るんだという状況にゴールしたのに歓喜どころか絶望しかない。
なんとか満潮ラインギリギリにテントを張り、びしょ濡れの服を脱ぎ捨て、裸でテントにダイブし即寝。
これだけ運動してカロリーメイトと飴しか食ってないが疲れすぎて腹が減らない。

2月1日
朝の満潮でテントまで潮が上がってきそうだったので7時頃に起きて撤収。
その後、朝飯ラーメン。普段はあまり美味しくないインスタントラーメンも昨日一日カロリーメイトだけで過ごした体には染みる旨さ。
昼頃までダラダラとすごし南側の湾内にあるトビ村へ移動。
上陸するとトラガニコロと村長やってきて挨拶して滞在の許可もらう。
芝生にテント張らせてもらい、水道で水浴び。昼飯は葬式やってたのでそこでご飯ご馳走になる。久しぶりに鶏肉食べれた。
その後病院でWi-Fi。
数日はこの村で停滞し、次の落ち着くタイミングでモアラ島を目指す。
2月2日
停滞。
日曜ということで朝から教会へ同行させてもらう。毎週日曜に教会に聖書を読み歌を歌い、祈りを捧げる姿はなんとも不思議な光景である。
昼飯も肉料理があったりとお祈りの日はとても豪華だ。
午後からは村長達と、夜はトラガニコロの家でカヴァパーティー。
村長は元航海士で海に詳しく、トトヤ島から西回りに出ると北に流れる海流があるらしい。それに乗ればモアラ島へは簡単に行けるとのこと。
キビーの足が悪化して体調も悪そうで心配だ。

2月3日
停滞。
キビーは朝から病院へ駆け込み薬をもらう。
足もパンパンに腫れて歩くのがきつそうで、ここまで来ると内服薬がないと治る気がしない。
今日から開校するセカンダリースクールの開校式にお邪魔することに。
学校は丘の上にあり、すぐ横には川が流れ水が豊富で今まで訪れたラウの島々とはかなり雰囲気が違う。
山があるだけで暮らしは一気に豊かになる。
式典では生徒達の歌も迫力があって貴重な経験だ。
午後からはゆっくり過ごす。
キビーは熱っぽいとのことでダウン。
天気予報を確認すると明日は風が弱まる予報に変わっている。
キビーに体調を確認してなんとか行けそうとのことで、明日モアラ島へ移動することに。
最悪キビーがキツそうでれば2人で引っ張ればなんとかなる。
モアラの南の1番近いビーチで50キロちょい。北側の大きなナロイ村までは65キロ。
漕いでみてキビーの体調を見ながら行き先を決めることに。
明後日はどちらにせよ北西風が強い予報のため島は渡れない。
明日南側のビーチに泊まって明後日に北側の村まで移動すれば問題ない。
明日は早朝出発のため、夕飯頂き最後の挨拶をして早めに就寝。
停滞が続き夜更かしが習慣化しているので、なかなか寝付けない。

2月4日
4時起床。少し寝不足ではあるが問題なし。
夕飯に頂いたパンの実を朝食用にフライにしてもらったものを食べる。
5時半過ぎに出発。風は南で追い風になりそう。
キビーが序盤から遅れる。どうやら足が踏ん張れないらしい。
2時間漕いで西側の集落。時速は4キロ。
このまま渡ろうかと思ったが、やはりペースが上がらないのでとりあえず縦一列に並んで牽引することに。
追い潮、追い風で牽引でも6キロ台をキープ。2時間ほど牽引したところで薬が効いてきたのかキビーが完全復活。
時速8キロ台まで上がり順調に最初の遅れを取り返す。
西にだけは流されたくないので、東寄りに進路を取る。
自分は途中からまた船酔いしてグロッキー。普段であればうねりもほとんどなく気持ち悪くなることなどありえないのに船酔いが癖になってしまっているようだ。
15時頃にトトヤ島到着。島の南側はビーチが小さく満潮になればほぼなくなる。
まだ元気なので30分ほど休んでからナロイ村へ向けてさらに漕ぐことに。
2時間ほど干潮のリーフに苦戦しながら漕いでナロイの東側にあるビーチに上陸。
結局67キロとハードな1日となった。
上陸後警察が待ち構えており、そのまま交番で取り調べ。ポリスはみな気さくで良い人たち。
シャワーを浴び、テントを張らせてもらい、ベースとして使わせてもらうことに。
飯もあると言っていたが結局何も出て来ず、疲れていたので作る気力もなく夕飯抜きで就寝。
天気予報確認すると明日は風が弱い予報に変わっていたが、さすがに70キロ以上漕ぐ気力はないので次の良い日を待つ。

2月5日
午前は交番でダラダラと過ごし、昼に村人に案内して買い物へ。
昼飯時に大きな家を見つけて突撃してみたら、女性陣が昼飯の準備をしておりご馳走になる。
警察署に戻ると副署長のピーターからスバの警察本部とMSAFの判断で旅を中止するように告げられる。
理由は届出がないということ。フィジーの領海内を移動するすべての船に申請を出す義務がある。
そしてなによりカヤックの安全性にも問題がある。
ピーターは上陸して最初に出会った人物で、ここから先は危ないから行かせないと笑いながら言っていた。
スバ本部への報告もカヤックに対してマイナスなイメージを持つ伝えた方をした可能性が高い。
諦めきれないため遠征再会に向け、日本大使館とMSAF、FBで協力してくれそうなスバ在住のパドラーのジミーさんを見つけて連絡してみる。
夜は仲良くなった村人達と交番でカヴァ。
トラガニコロのコロも参加してくれた。コロは昼飯ご馳走になった家の息子らしい。
明日も昼飯食べにきてと誘ってくれた。
どれだけ飲んでも全く効かなかったカヴァだったが、この日は初めて酔っ払った。
2月6日
朝からひたすら支援者探し。
昨日連絡したジミーさんの友人がニュースとして自分たちの記事を書いてくれた。
SNSで協力の呼びかけをすると沢山の方が色んなアイデアを出しくれて、フィジー在住の方を繋いでくれた。
鶴の一声があれば警察も動くだろうから、とにかくフィジーに太いパイプがある人を探す。
再会に向けてやれる事を全てやるのみ。
夜は転勤になる公務員の送別会に参加。
2月7日
朝からフィジーの日本人会にも協力を依頼すると会長がすぐ副首相に話をしてくれ、少し道が開ける。逆に副首相以上の権力者はもういないため、これでダメならもう諦めるしかない。最後の希望だ。
2月8日
ナンディーの語学学校の方と電話で話す。沢山の方が動いてくれて本当に感謝である。
昼頃、副首相の秘書から警察の判断を覆すことができないと連絡をもらう。
これにて正式に撤退を決断する。
色々と思うことはあるが仕方ない。やれることはやったが完全に運に見放されたと思うしかない。
5日後の船に乗りスバへと戻り、飛行機も便を早めて帰国の途に就く。

まとめ
コロ海に散らばるラウ諸島。今回は15もの外洋の島々を訪れることができました。
その中には日本人が初めて訪れたという村も数多くあったように思います。
中国のインフラ支援やスターリンクの登場で島の暮らしにも近代化の波が押し寄せ、ここ数年で圧倒的に便利で効率的な暮らしへと変化しています。
それでも島によってはラウ民族としての誇りを持ち、昔ながら伝統を守り暮らす人々も多く、貴重なお話や経験を沢山させて頂きました。
世界で最も幸福度が高いといわれるフィジーですが、実際に島を訪れ、村人と接し,共に暮らすことで、その意味が少しは理解できました。
これから先も素晴らしい伝統と文化が後世へ受け継がれれていくことを願っています。
カヤッキングに関しては、連日30キロ以上の横断が続く中で、特に危険を感じることもなく一つ一つ確実に渡りきることができました。
特に90kmを超えるカバーラ島とトトヤ島の横断ではイメージした完璧なラインで渡れたことで私たちのナビゲーションの精度の高さを証明できたはずです。
フィジーの海に旅ねしあらしい航跡を残し、旅ねしあらしい旅が表現できたとにとても満足しております。
あとは今回渡れなかったモアラ島からビチレブ島への250kmを次の世代のカヤッカーにリベンジしてもらえたら嬉しいです。
最後に、
現地で村人同然のように接して頂き面倒をみてくださった皆さま、
私たちの旅を日本からサポートして頂いた皆さま、
そして毎度長旅に出る親父たちを温かく送り出してくれる家族たちに、
心より感謝いたします。

南平純
Comments