機材の運搬問題が発生しゴール地点はカイ諸島からアンボン島へと変更となりました。
セラム海峡横断に関しては事前情報では東に流れる海流があるとのことでしたが、実際はほとんど海流を感じることはありませんでした。
海流の流れは常に不規則で、季節や潮流の影響で海流の速さや向きは変わる可能性があります。
情報のない海に加え天気予報もなく、手持ちの潮汐表も当てにならない状況、全ては過去の経験と感覚だけの旅となりました。
あまり参考にはなりませんが、ここにこの旅の日誌を残します。
期間 2024年1月14日〜2月14日
ルート インドネシア 西パプア州ソロン→マルク州アンボン
漕行日数 25日
漕行距離 730キロ
メンバー 運天陵、佐藤瑛彦、南平純
協賛 BOB's CAFE 民宿宮良 内川様
日誌
1/16 3.8km
6時半にソロン空港。
タクシー2台でビーチへ移動。
たくさんの現地の人に見守られながら準備。
昨年は雰囲気に飲まれることが多かったが、今回はしっかり落ち着いて準備できた。
サラワッテイー島の北から行くか、南からいくかを現地の人に数人確認。
みなソロンから南への流れに乗って行った方が良いと教えてくれた。
心配していたワニは問題ないとのこと。
近くのナシブングスを昼夕食分買い、スタート。
海はおだやかだが雨はちょこちょこ降るとのこと。
4キロ先のソープ島の東へサクッと漕いで今日はここでゆっくりする。
教会と白い砂浜の景色を見てようやく実感が湧いてきた。
トランジットに時間を要し2日間まともな睡眠がとれておらず全員意識朦朧。
買い出しも不十分なので、明日どこかの村に上陸して買い出しすることに。
キャンプサイトの近くに住む子供からマンゴーを買う。
明日の朝と夕のご飯を準備して18時半に就寝。
上陸してからずっと蚊に刺され続けて感染症にならないか心配。
1/17 64.54km
夜中と時折激しい雨と風。
4時起床だったがまだ風が強く明るくなるまで待つことにして、6時出発。
順調に追い風だったが潮は逆なのか波に乗れない。
昨日の話だと南にいつも流れているとのことだったが恐らく上げは北、下げは南に流れている気がする。
実際に満潮後からは追い潮に乗り良いペース。
航空写真では見えない島が多く現在地の把握に苦戦した。
14時頃にワリアムというクリスチャンの村に到着。
上陸するがみんなシャイなのか外から来る人に慣れていないようで挨拶しても反応が悪い。
漁港前の店で買い忘れた食材や行動食を購入。
たまたま売店のムスリムの女の子が英語を喋れたので事情を説明できて良かった。
小さい村だが15世帯はムスリム、他はクリスチャンが住んでいるそうだ。
売店は鉄格子で囲まれて鉄格子の外から注文するのだが、今まで訪れた場所にはこのような形の売店はなかったので、治安は良くないのかも?
明日の行程を考慮して時間も余裕あるのでもう10キロ漕ぐことに。
目指していたビーチはどこかの会社が管理している土地で上陸を断られる。
もう5キロ漕ぐとアウトリガーの手漕ぎ漁師がいたので村に泊まれせてほしいとお願いする。
カヤックを上げられる場所に案内してくれた。
たくさんの人のお出迎で大歓迎してくれた。
早速女性がアテンドしてくれて家に招待。
外は蚊が多いからと、海沿いの空き家に泊まらせてもらえることに。
水浴びもさせてくれ至れり尽くせり。
夕飯は売店でカップラーメン。
やはりここもクリスチャンの村だが、売店だけはムスリムが経営。
村の発電機もこの売店が管理しているようで村人からの依存度が高いせいか、店主の態度はかなり悪い。
昭和のような生活で唯一村にある売店のテレビに人が集まってみんなで見ている。
温かい人が多く、素晴らしい村に上がれてよかった。
夜は家の隙間から蚊が入り込み発狂しながら一夜を過ごす。
1/18 21.27km
大勢に見送られて村を8時半に出発。
天気も安定しているので、明日のミソール側への海峡横断に備え、なるべく海峡の近くの島を目指す。
島が重なって判断が難しいのでコンパス頼り。
警戒していた北への流れはなく逆に風で南に少し流される。
昼過ぎには予定通り到着。
昨日お世話になった村の若者がココナッツを取りに来ており、3個もらって久しぶりに飲む。
この辺りの人はシャイな人が多く、口数は少ないがみな優しい。
若者が去った後は南のサンゲットという町から家族が来島。
事情を話すとムーバラン(カスミアジ)とサゴ椰子澱粉で作ったロティーをくれる。
夕飯は貰い物だけで賄えた。
タンパク質を久しぶりに取れたこともあり疲労も回復。
明日の横断に備えてポカリを自作。
日本からクエン酸を持ち込み、塩と砂糖で作る。
砂糖が少なかったので次回は砂糖の分量を増やす。
テントを貼り終えると雨が降ってきたので20時就寝。
1/19 59.75km
4時起き、5時半出発。
事前情報では海峡は北に流れるとのことだったので進路を南よりに35キロ先の島を目指して漕ぎ始める。
流れはほぼなく緩い北風で南へ少し流されてきたので北寄りに進路を変更。
結局どこも流れずにミソール側の無人島に11時すぎ到着。
天気も良いしもう少し漕ぐことにする。
12時に25キロ南西の島を目指す。
徐々に北西風が上がりウサギが跳ね始め、南へと流され始める。
思ったよりハードなコンディションになってしまった。
朝からパン一個とビスケット数枚と飴しか食べてないので残り15キロでエネルギー切れ。
なんとか踏ん張って予定より1時間遅れの17時に到着。
無人島周辺は南に流れており時速3キロしかでずかなり辛かった。
昨日も同じだが午後から数時間は風が強く吹く傾向があるようだ。
腹減りすぎたので夕飯はみんな食いまくった。
旅が始まって以来野菜を調達できずにいたが、今日は海岸に生えているモンパの葉を炒めて久しぶりの野菜?に感動。
1/20 21キロ
前日の疲れもあるので朝は7時に起床。
9時に港があるフォーレイ村へ向け出発。
北西風に流されないように気をつける。
村の北側のビーチに上陸し村散策。
港町だけあり活気があるし、街並みも綺麗。
大きなモスクがあり、クリスチャンが大半を占めるがムスリムも多く住んでいるようだ。
電気も水道もありサラワッティー島とは大きく違う近代的な暮らし。
近くの商店で知り合ったアリーとその仲間に面倒を見てもらう。
カップ麺をアリーの友人の家で頂き、サゴ椰子を見に連れてもらう。
散歩しながらレモンとマンゴーとココナッツを収穫してもらい腹一杯。
その後はジョンの家で風呂入る。
空き家にテントを張らせてもらえることになったが、ジョンの家族が気遣って家に泊まれと行ってくれた。
ウビゴレンとコーヒーを飲みながらジョンと弟のファンと話す。
wifiがあるオフィスまでファンに案内してもらいようやく家族に生存確認の連絡。
旅行代理店からカイ諸島発の飛行機には荷物制限があり欠航率も高いことを教えてもらい、今回はアンボンへのゴール変更に切り替えるしかなさそうだ。
夜はジョンの友達と翻訳機を使っておしゃべり。
学校では道徳の教育が素晴らしく、子供たちは礼儀正しくみんな気遣いもできる。
ジョンに将来の夢はあるか?と訪ねると、両親が幸せになれるように働くことだ。と。
好き勝手生きてきた自分にとって彼らの回答には驚かされた。
1/21 42.89km
朝飯にウビゴレンを頂き、ジョンと父に見送られ9時出発。今回の目玉でもあるラジャアンパット国立公園へ。
無数の円錐カルスト地形の島が散らばっており圧巻の光景。
誰1人として観光客とは会わず終日貸切だった。
南側のクスハジャヤ村の端にある浜に上陸するとファリスとセラハン(共に10歳)が来て、村を案内してくれるとのこと。
この子達も昨日の子達と同様とにかく気遣いができる優しい子たち。
村の一部以外はほとんどが杭上住居で水上生活。
子供が多くみな愛嬌あり、海で遊んだり校庭でバレーしたりと活気にあふれて素晴らしい村だ。
今までのクリスチャンの村には家畜はいなかったが、ここはムスリムだけが住む村なので家畜の山羊が沢山いる。
宗教により生活スタイルも大きく変化。
陸上側の家には畑もあるところも違う。
夜は今日泊まる海沿いの廃墟の持ち主が挨拶に来た。
海の情報を聞くとやはりセラム海は海流が速いとのこと。
事前情報では東に流れているとのことだが、彼曰く南に流れているという。
果たして信じて良いものか判断が難しい。
一気に緊張感が高まった。
海峡横断は明後日以降。
まずは明日スタート地点まで行って判断しようということで話はまとまったが、全員ナーバスな状態。
海流は想定内でも風が午後から強くなるので横断にはかなり影響してきそう。
天気予報もなければ海の情報もない。
今の自分達には一か八かで出るしかない状況で前進か撤退かの判断は非常に難しい。
生きて帰ることが目標であり撤退しても恥じることではないと自分に言い聞かす。
考えれば考えるほど恐怖心しか生まれない状況に全員が陥いる。
キビーが娘に買ったお土産を微笑んで眺めている姿を見て、2人をとんでもないところに連れてきてしまったのではと非常に後悔している。
2人の家族の悲しむ顔も頭によぎる。
命がけの横断にみんなを付き合わせてしまっているのではないか、自分を責めるしかない。
勇気がないなら最初から挑戦しなければ良いのに。
何を考えてもマイナスなことしか浮かばない辛い夜だ。
1/22 35.5km
4時起き6時出発で明日の横断に備え1番南のフェミン島を目指す。
まだ気分は上がらない。
考だすと不安と恐怖心に襲われる。
マングローブの水路はサンゴが美しく種類が豊富。
日本にはまずない光景でみんな感動。
今日は午前中から少し風ある。
このエリアは人もいないし本当に秘境のようだ。
初日からずっと水の濁りがあったがこの辺りからは一気に外洋の透明度となりこの度で1番透明度が良い。
12時頃からまた風が上がり最後は8mくらいの西風。
明日もこの風を海上でくらうと思うとゾッとする。
数日のパターンは12時頃に風が上がり、2〜3時間吹き荒れて徐々に落ち着く。
そこで明日の計画としては、風が落ち着く昼過ぎから横断をスタートさせ、翌日の午前中の到着を目指す。
11時間は夜漕ぎだが、夜から朝方は天気が安定してるし、どうせ昼でも霞んで島は見えない。
なるべく穏やかな時間に体力を奪われずに漕げることが重要。
明日は朝ゆっくり過ごし、昼過ぎ出発で意見がまとまった。
昨夜ほどの落ち込んだ気持ちもなくみんな前向きでいい。
追い込まれた状況で感情の起伏が激しいが、今の前向きな状態をキープできるように心がける。
食料は2日間漂流する覚悟で日本から持ち込んだ行動食やポカリを念入りに準備する。
1/23.24 95.91km
朝10時頃までダラダラ過ごすが、あまりの暑さにテントから飛び出す。
のんびり昼飯を食べて出発に備える。
目指すは90キロ南のセラム島。東に流れる海流がこの横断の難易度を上げる。
昨日まで数日間は西風だったが、今日は北西風に変わり横風を使って南西方向に進めそうで非常に有難い。運を味方につけたか?
12時半頃から風が吹き出し、14時半頃予想通り落ち着く。
その後一度雨雲に入りまた風が上がったため待機して落ち着いた15時20分に意を決して出発。
みんな最後に海に向かって手を合わせて一礼。あとは運を天に任せるのみ。
漕ぎだすのにかなりの覚悟が必要だが今なら確実に行ける気がする。
この日のために今までの修行のような遠征がある。
俺たちならできる。自分を信じよう。
海に出ると風は問題はなさそうだ。
視界は悪くセラム島は見えない。
220度でペースは6キロ台をキープしなるべく東へ流されないように。
18時頃にセラム島の山が一つ見える。
日没後は1時間ほど月が出ず暗闇だったので、コンパスを見て少し波酔い。
はっきりコンパスが見えないので210度から225度の間をキープ。
21時頃から満月が出て一気に明るく視界が見やすくなった。
ペースも順調に6キロ台。
2000mの最深部を通過中だが弱い北西風で流される程度で海流は感じない。
12時頃1回目の睡魔との戦い。
1〜3時は2回ほど雨雲に当たり土砂降り。
真夜中の見知らぬ海のど真ん中で視界ゼロの土砂降りという極限の状況にアドレナリン全開。
4時頃2回目の睡魔と戦いつつも220度に街の明かりが見えだす。
4時半から1時間ちょっとは月が沈み暗闇で、潮も流れているのか海面が荒れて漕ぎにくい。
5時半に少しずつ東の空が明るくなり出し、陸地の輪郭が見え始める。
全くどこにいるかは想像できなかったが、東側に岬が見えたことで島は外していないことがわかった。
もはや予想よりはるかに西にいることは間違いない。
6時に岬の内側に入り生還を確信。
6時20分に近くのビーチに一旦上がり小休止。
最短距離90キロ15時間ジャストで完璧すぎる横断だった。
普段は流れているはずの海だが大潮が逆に影響して流れが止まったか?
答えは誰にもわからないが、誰も手漕ぎで渡ったことのない海峡を生きて渡れたというのは事実。
達成感はもちろんあるが、何より安堵感。
生きることにこれだけ執着したのは生まれて初めてだったかも。
みんな睡魔と戦いながらも弱音を吐かずよく頑張った。
90キロ漕いだ後も誰も体力的な疲れがないところは流石だ。
夜間11時間ぶっ続けの漕ぎはとにかく目が疲れる。
上陸して休憩していると容赦なくモッコの襲来にあい発狂、近くの村まで移動。
8時半にコビという町に上陸。
ビーチに上がると早々に住人達が集まり、ミソール島から渡ってきたと伝えるとカヤックを運んでくれて家に招待してくれた。
旦那のウクフが昼飯を買いにバイクを出してくれた。
奥さんのリア、リアの弟のヤディーとダンディーがもてなしてくれる。
町で会う人みんな笑顔が素晴らしく暮らしの豊かさがひしひしと伝わる。
庭の東屋で飯を食って昼寝させてもらう。
漁師や農家もいるが、この町には石油とパームヤシとチョコレートの会社があり多くの人はそこで働く。
男性陣は週2日勤務で平均月収5万、今の暮らしに不満はなく幸せだと言う。
インドネシアの田舎ではかなりの高収入だ。
ドリアンとマンゴスチンをいただき、家の中でまた昼寝させてもらう。
日本に3年間住んだことのあるウクフの従姉妹のフィラが挨拶に来てくれ、泊めさせてもらえることに。テザリングさせてくれた。
旭川の介護施設で働いていたとのことだが、まだ日本語を勉強中でまたライセンスがとれたら日本に行きたいとのこと。
夕方みんなで近くの入江に散歩に連れてもらう。ビールも買えてみんなと話しながら楽しい夜を過ごす。
長い長い一日で思い出すだけで身震いする。
夜布団に入って寝る時は生きてることだけでとても幸せを感じれた。
1/25 25.52km
朝はゆっくり朝食を頂き、買い物。
フィラの父は元町長で姉は次の町議員選挙に出馬するとのことだ。
盛大に村中の人が見送りに来てくれた。
最後の最後まで親切にしてくれて本当に素晴らしい町だった。
スタートが遅れたので無理せず行けるとこまで。
12時前には西風があがり修行コンディション。
結局向かい風の中で7時間漕いで湾の河口に上陸。
セラム島も午後から風は上がるのでなるべく午前に移動した方が良さそうだ。
モッコの襲来に発狂しながら飯食って寝る。
人が住んでいないビーチはサンドフライが多く不快しかない。
昨日の天国から地獄に落ちたような夜だ。
1/26 18.78km
7時半前に出発し近くのワハイという町を目指す。
出発早々に雨雲に捕まり向かい風。
雨雲が抜けて風は落ちたが向かい潮でスピードが上がらない。
岬超えてからはさらに速い。
結局4時間半かかって到着。なかなか距離が稼げない日々が続き精神的に疲労。
町でナシチャンプルとピサンゴレンとwifiでリラックス。
ソロンからカヤックで来たというと流石に遠すぎて驚かれるがその分、みんな親切にしてくれる。
カヤックに戻って漁師のおっちゃんから海の情報を聞く。
上げ潮は東に下げ潮は西に流れるとのこと。
岬周辺は海が荒れるから気をつけろと。
天気予報はなくみんな空を見て雲の動きでいつも判断しているらしい。
魚は昔と変わらずたくさん獲れるという嬉しいお話も聞けた。
この町には農家も多いとのこと。
家に泊まれと言われたが明日の朝が早いのでお断りした。
夜はワルンで久しぶりに鶏肉食ってパンとサンダルを買って就寝。
漕ぐのはキツイが人と出会い話して美味いものを食べると漕ぐ辛さを忘れて充実感に満たされる。
人の住む場所に上がるのはやはり交流できて良い。
蚊やサンドフライも少なく快適にキャンプもできる。
1/27 42.26km
4時起き6時出発。
まだ暗くリーフの波に気をつけながらアウトへ。
明るくなり出してからは土砂降りだったが風は弱く快調に漕ぐ。
3時間ほどで北西端の岬へ。
下潮があたりラフな海面だが問題なく通過。
湾内に入ると永遠と向かい潮。
なるべく岸沿いの反転流を使い南下。
途中運天がセットをくらって吹っ飛ばされたが、サングラス無くした程度で怪我はなく安心。
ベシというムスリムの村に上陸。
第一村人のブユンのうちで風呂入らせてもらう。
父は漁師、母は盲目、2人ともとても優しくコーヒーとロティを出してくれた。
たまたま昼寝してたエガはタクシードライバーで英語が少し分かるし会話がしやすい。
父と南平は山に焚き木拾いに。
山にはチンキー(クローブ)の木やマンゴスチン、ランサーがたくさん。
運天とキビーはブユンに案内してもらいwifiをゲット。
2人はネイビーに職質され飯奢ってもらったらしい。
夕飯はエガがミーゴレン作ってくれて、みんなでアラック(サトウヤシの酒)を飲む。
インドネシアではストレートで回し飲みスタイル。
エガの案内で近くの養殖場やクリスチャンの村を酒飲みながらドライブ。
自分は早々にダウンしたが、運天とキビーは3時までカラオケ。
エガはとんでもなくクレイジーなムスリムだった。
1/28 6.42km
10時頃にみんなに見送られて出発。
エガは明日出て今日も遊びたいと悲しんでくれた。
近くのサワイ沖の無人島がキレイと聞いたのでシュノーケルポイント探す。
途中ハートアイランドの近くを通るとドレッドの男性が日本語でこっち来いと叫んでいる。
タハさんは日本に2年住んでて久しぶりに見た日本人に大喜び。
今日はここに泊まっていけと言ってくれたのでお言葉に甘えてほとんど漕いでないが泊まらせてもらうことに。
2人は二日酔いで自分も体調がイマイチだったので助かった。
タハさんはマソヒ出身でインドネシアのゼネコンで働く。
その後昨日行った日本水産のエビ養殖場のボスを経て、ストレスから解放されるためにハートの島を作って自由に暮らすことにした。
ハートの島は以前住んでた函館の五稜郭からインスピレーションを受けた。
この島では入園料なども取らずすべて無料で解放。
エビ養殖場時代の地元民からの信頼は厚く、みんなタハさんを慕っている。
この島もみんなに協力してもらい無料で作ったらしい。
お金はないけど食べ物もたくさんあるし心は幸せという。
昼休憩に漁師が集まり焼き魚をもらう。
こんな感じで漁師や観光船の人達と物々交換をしてタハさんは暮らしている。
ハートの中の海には魚、エビ、亀、海ブドウなんでもある。
家は雨水とソーラー発電と究極のロハス生活。
自分は熱っぽいので休ませてもらい、運天とキビーは夕飯獲りに海へ。
焼き魚と刺身とマース煮と海ブドウと豪華な食事。
タハさんの言葉は一つ一つが深く、頭の良い人なんだと心底感心した。
こんなインドネシア人は今まで見たことがなかった。
1/29 24km
朝からパンケーキご馳走になる。
昨晩自分が寝たあと、インドネシアをバイク旅してるという青年が泊まりにきていた。
みんなで記念撮影して、11時に出発。
タハさんにゆで卵とパンと水、薬などお土産を頂き、本当に世話になった。
永遠と向かい風の中漕ぐ。
1500mクラスの山が海沿いに並び圧巻の光景。
16時にカルトカラに到着。
セラム島では初めてクリスチャンの村に上陸した。
祖父が日本軍だというドーフィーに1キロ離れたワルンまでバイクで連れてってもらう。
飯代とガソリン代をたかられて少し驚いた。
おもてなしの精神に宗教の違いはあるのか?
今まで散々奢ってもらったので気にはしないが、また違いが見れて楽しい。
村にはゴミ一つ落ちてないし、ゴミも捨てないという。
これも他の地域の人達とは大きな違いだ。
夕方ドーフィーの家に行きコーヒーをご馳走になり、ドーフィーの母で日本兵の父を持つオカダさんがわざわざ来てくれた。
母が1歳の頃に日本に帰ったので顔も全く知らないとのこと。
「岡田」という漢字を教えてあげると喜んでいた。
こんな所で日本軍兵士の末裔に会えるとは感慨深い。
70年以上も前に日本人がこの地に住んでいたとは想像もできないが、過酷な生活であったことは容易に想像できる。
1/30 37.47km
5時起き7時出発。
珍しく朝は無風で追い潮に乗り距離を稼ぐ。
行ければ45キロ先の大きな村へ行きたかったが12時半頃から風があがり、ペースダウン。
頑張って1時間漕ぎワラシワへ上陸。
クリスチャンの村でおじさんが家で水浴びさせてくれる。
オフィスに行って村長に挨拶行くも不在。
おじさんは金払えば料理作るよと言ってきたので断って自分たちで調理することに。
その後も自分たちに付き添いなかなか帰らない。
自分たちが買った果物を勝手に食べたり、何かしらでお金をもらおうとしたり、ちょいちょい見返りを求めてくる。
腹が立ってきたのでオフィスに戻りwifiで時間潰す。
夕方帰って料理するとみんなが集まってくる。
食事中もおじさん達は集まってくるのでストレス。
結局テント入って寝ると言っても帰らず外で話されて眠れない。
若者は皿洗いやテントを張ったりと手伝いをしてくれる子も多く友好的で子供も変わらずみんな可愛い。
おじさん達の癖が強いのか?たまたま第一村人のあたりが悪かったのか?
明日は誰もいない早朝に出発することに。
1/31 29.21km
4時起き6時過ぎに出発。
今日から数日は外洋向きのビーチでサーフ超えての出発。
暗いと見えないので明るくなってからでないと出発できない。
沖に出れば穏やかでペースも順調。
岬の潮あたりの良い場所で漁師が網や釣りで漁をしている。
この辺りはコリコリ(手漕ぎ船)ばかりでエンジン船は一切見当たらない。
今日はカシエというムスリムの村に上陸する。
波が大きく上陸はなかなか大変だったが、我々を発見した村人がすでに数十人集まってカヤックを引き上げてくれた。
みんな大歓迎で昨日とは人の雰囲気が全然違う。
浜にかけつけた警察官スアトレアンの家で水浴びさせてくれて、コーヒーとお菓子頂きながら旅の経緯を説明。
スアトレアンが昼飯も用意してくれ、夜はウチに泊まれと言ってくれた。
上司がきて身元確認。問題はなさそう。
浜辺の東屋で昼寝したりみんなと交流する。
村には農家、漁師、メカニックの仕事はあるが、若い子はみんな町に仕事を求めて出て行くらしい。
魚はここも昔と変わらず豊漁とのこと。
その後は子供達に案内してもらい散歩。
やはりみんな礼儀正しく気も使えて子供とは思えないくらいしっかりしている。
道には様々なフルーツが植えてあり、子供たちはすべて完璧に答え美味いかどうか教えてくれる。
ライチを食べさせてくれた。
パラ(ナツメグ)が干してあるのは初めて見た。
カカオもたくさん生えていたのには驚いた。
森の奥にある綺麗な湖で子供たちは飛び込んだりして遊ぶ。
スアトレアンの家に戻ると今度は海上警察が誰かの投稿したSNSを見て駆けつけた。
とても友好的でコーヒーとラピス(ういろう)を食べながら団欒。
70キロ先にあるオフィスに遊びに来てくれたら歓迎するよと海上警察のアノンが言ってくれた。
夕方は子供達がみんな波で遊ぶ。
ボディーサーフィンしたりチューブで波乗りしたり波に巻かれて楽しんでいる。
日本なら遊泳禁止になるくらいの波だが、誰も大人は監視しておらず子供達だけでこの大きな波で遊んでいるのは信じられない光景だった。
途中から一緒に海に入ったがセットはかなりデカい。
こんな日でも今まで流された子供はいないとのこと。
日本ではありえない素晴らしい環境にただただ感動した。
海で遊ぶことも山で木の実を取ることも大人の監視なく子供たちは自由に遊びながら覚えて行く。
たまに怪我もするだろうがそうして様々な経験を積んでいっている。
この環境はずっと残って欲しいと心底思った。
夕飯もご馳走になり、21時に就寝。
暑さで発狂して熟睡できず。
2/1 33.26km
朝は5時半起き。
スアトレアンと息子は僕らのベッドを譲ってくれたので、外の東屋で寝ていた。
なんという優しさだ。
みんな早起きして朝飯まで用意してくれた。
みんなと写真撮ったりしていたらスタートが遅れ7時過ぎに出発。
出艇も手伝ってもらい盛大にお見送りしてもらった。
今日も風なく11時頃までは快適に漕ぐ。
岬の向かい潮に捕まり、向かい風も少し吹いて13時半に北西端のカロエッエに到着。
漁をしていたエピンという青年に上陸場所を教えてもらい、商店へ案内してもらう。
あまり自分たちに干渉することなくみんな適度な距離感で警戒されているみたい。
小さい村で何もやることもないのでビーチに戻って早めに飯食ってテント張る。
久しぶりに誰もいない海でゆっくり。
もう旅も終盤に差し掛かり、仲間達と過ごす時間も少なくなってきた。
1日1日大切に過ごそう。
2/2 25.41km
5時起き6時出発。
セラム島に来て初めて無人地帯を漕ぐ。
海岸ギリギリまで山が迫り、人を寄せ付けない海岸線が続く。
追い潮に乗り一気に西進しあっという間に岬をまわる。
途中透明度が良いリーフがあったので飛び込みシュノーケル。
5キロほど漕いでカーワーという村に上陸。
上陸後に話しかけてきた漁師のスクリーとマディーに案内してもらうことに。
マディーはサワイ出身で仕事を求めてこの村へ。
マグロ漁師となり、カーワー出身の奥さんと結婚して4人の子供を持つ。
この村には180人ほどの漁師がいて、エンジン付きの船で延縄マグロ漁をしているとのこと。
1m弱の5キロのマグロが釣れ、物によるがだいたい650円/kgで売れる。
マディーの家で風呂入らせてもらいワルンへ。
その後2日前に会った海上警察のオフィスにバイクで連れてもらい挨拶へ。
コーヒー飲みながらセラムの話を聞く。
みんな珍しい日本人の来客に喜んでくれたみたいで最後は記念撮影。
その後マディーのうちに戻りワルンで夕飯食べて就寝。
夜は暑さと蚊で発狂して全く眠れず。
2/3 12.68km
朝はマディーの家でご馳走してもらい8時前に出発。
みんな寝不足でやる気でず、近くの無人島でのんびり。
今日は漕ぐのはやめて近くのオーシー島へ。
狭い島に杭上住居が立ち並ぶ。
ワルン探しに散歩しているとたまたま昼飯食っている家を見つけてご馳走になる。
おじさんから話を聞くと、この島はスラウェシから来たバジャウ族が多く住むらしい。
ちなみに昨日のカーワーはバジャウ族の村で漁業が盛んとのことで納得。
やることもなくダラダラと昼寝して過ごし、夕方は近くの海上レストランで夕飯。
たまたまレストランの店主は先ほどカヤックの前で話した人だったので、このまま海上レストランで泊まらせてもらえることに。
夜中にスコールで起こされるも蚊もいなく快適に眠れた。
2/4 31.86km
朝から激しいスコールで待機。
7時頃にカヤックに戻り、子供からロティーと米を買って朝食。
ご飯の上にココナッツを甘く煮たふりかけがかかっているが、甘すぎてちょっと苦手。
この辺りではみんな朝飯に食べるらしい。
みんなに見送られ8時前に無人島のアヤ島を目指し出発。
アヤ島は赤いサンゴが混ざったピンクビーチで美しい。
鶏捕まえようとしたが失敗に終わる。
セラム島の西端の水路を周る。
潮がそれほど動かない今の期間でもかなりのスピードで流れている。
本来は西端の向かいにあるバビ島に上陸しようとしたが、海から見ても明らかに雰囲気がやばそうな気がした。廃墟の村みたい?
そもそもムスリムにとって穢れであるバビ(豚)という名前の島をつける自体に何か怪しさを感じる。
旅をしてると危険察知能力はあがるので上陸は諦めて、西端のテラガニパという村に15時上陸。
女の子達が寄ってたのでワルンへ案内してもらい飯食って買い出し。
浜でゴロゴロしながら隣のおばちゃんと話していると、遠くにいた若い漁師のビリーとレモンが手招きしていたので、一緒にコーヒーを飲みながら話を聞く。
この辺りは100年以上前にスラウェシのワカトビから移住してきたらしいが、バジャウ族ではないという。
漁師以外にはキャッサバ農家がいるとのこと。
目の前の海でエンジン船でマグロのはえ縄漁をしているそうで漁場に恵まれている。
みんなで話してると英語堪能なアニサが話しかけてきた。
井戸水で水浴びさせてもらい村長に挨拶してから、アニサの家に招待してもらう。
祖父の100日の法事でみんな集まっていて、今日2度目の夕飯をご馳走になる。
アニサの従兄弟のトゥリーも英語話せるのでみんなで楽しんだ。
夕方まで誰も話しかけてこなかったので早くテント張って寝るかと思っていたが、まさかの展開で思い出に残る一日となった。
2/5 25.88km
朝からアニサの家で朝飯を食べる
みんなに見送られ出発。
本当にアニサの家族には世話になり感謝だ。
途中から風も吹き出しサクッと25キロ南のタラーガに上陸。
みな警戒しているのか少し離れた場所で見ているだけであまり寄ってこない。
事情を説明すると第一村人の漁師のレノーに案内してもらい公共マンディーで水浴び。
水は他の地域に比べて豊富らしい。
ダラダラ木陰で過ごしていてもまだ村人達は警戒してるみたい。
その後ポリスとアーミーから職質。
ポリスはいい奴だが何度説明しても理解できないみたいで別の村から2人応援のポリスがきた。
村の警察署で説明して村長にも許可をもらい村に泊まらせてもらえることになった。
結局3時間拘束されたが最後はコーヒーとパンをポリスから奢ってもらい、一気に村中が歓迎ムードへ。
この村も夕方になると子供達が皆海で遊び素敵な光景が残っている。
漁師のアリーが家に招待してくれて夕飯に焼き魚をご馳走してくれた。
家に扇風機があり大感動。
セラムに来て何軒もお邪魔したが扇風機がある家は初めて。
食後もアリーの家族と友人達と楽しく会話。
この村も多くの人がスラウェシから移住してきた末裔。
アンボンの大学に通い法律を勉強しているアーリーから良い質問がくる。
・日本は子供を産むことが負担になるのか?
インドネシアでは子供が多ければ多いほど財産が増えると考えている。
・ニュースで知ったが日本は都会から地方に引っ越すと補助金がでるとは本当か?
・インドネシアでは給料が低く多くの若者は公務員を目指す。また日本や外国の工場に出稼ぎに行きたい人も多い。
・ゴミ問題は意識しているが、焼却炉や埋め立て地がないことで処分できない。インドネシア人のゴミ問題は意識の問題でもあるということもわかっている。
・多くのインドネシア人は貧困に直面している。今の暮らしは楽ではない。田舎では漁業と農家しか仕事がない。でも村の暮らしは幸せでもある。
などなど、社会問題や宗教に関しても踏み込んだ内容でいい話が聞けた。
結局警察署の横の砂利でテント張らせてもらえることになり就寝。
警察や村長から許可を得たことで警戒していた村の人との距離は縮まり、みなとてもフレンドリーで親切に接してくれた。
トリガーとなる人や出来事が起こらないと、村人の懐に入り込めないのは今後の課題でもある。
2/6 25.88km
6時起床、アリーの母に朝飯もご馳走してもらう。
みんなにカヤック運んでもらい8時前に出発。
岬あたりは想像以上に潮がぶつかりこの旅で1番大きなうねりの中を漕ぐ。
完全に油断していた。
追い潮でペースがあがり3時間で今日の目的地のティーフーレシに到着。
波が割れていたのでどこに上がろうか悩んでいると地元の船乗り達が教えてくれた。
上陸早々に隣町のワヤセルに住むバパリンと下校途中の学生達が集まり事情を説明。
バパリンの家に招待してもらいコーヒーを頂き、水浴び、昼飯をご馳走してもらう。
食後はワヤセルの村を散歩。
この辺りの集落は平らな土地が少なく斜面に家が建ち並び今まで見てきたセラム島の村とは雰囲気が違う。
丘の上に金持ちそうな家が一軒あったので突撃してみたらコーヒーとお菓子を出してくれた。
展望もよくテラスで1時間ほど図々しく休憩。
勝手に家に来たのに、これだけもてなしてもらえて有り難い。
一旦カヤックに戻り今度はティーフーレシを散策。
モスクの前の広場で昼寝して学校の先生の家でまたコーヒーを頂く。
晩御飯はバパリンの友達のスライマンサマルの家でご馳走になる。
本日2度目の風呂に入り、テントを張る。
ビーチが狭く満潮のためギリギリで眠れないので23時まで外で過ごし潮が下がり始めたのを確認して就寝。
残すところあと数日。
途中辛すぎて早く終わりたいと思っていたのに、旅の終わりが近づくと急に寂しくなる。
2/7 12.35km
6時起床、スライマンサマルの家に行き朝飯とコーヒー。
彼はフィンもマスクもなしでゴーグル(カチャマター)だけで20m潜ってマグロを水中銃でつくらしい。
銃は自作で数千円で作れる。
日本製は高くて買えない。
みんなに見送られ8時半頃に出発。
ゴールまで35キロなので今日からは時間調整のため小刻みに行くことに。
アンボン側との海峡は波が大きいと昨日会った女性が言っていたので、潮流に気をつけながら岬を越える。
すぐに東に流され始め、波も大きくなったが問題なし。
島は付近は西への流れが強かった。
プロウティガのヌサエラに到着するとすぐ村長がきてカヤックの置き場を教えてくれてコーヒーでもてなしてくれた。
ツリーハウスで見晴らしもよく風も通り素晴らしい場所。
今晩はここに泊まれと言ってくれた。
島の人たちもみな優しい。
上から見てるとこの辺りの海は終日西へと流れる。
特に昼過ぎまではかなり速いことがわかった。
流れが緩くなった昼過ぎからはシュノーケル。
潮あたりよく透明度よく魚も多くて最高に気持ちよかった。
島の人はアンボンへ簡単に行き来できるので、便利な暮らしをしている。
55世帯あり、みな男性は漁師とのこと。
結局昼飯も夜飯も村長宅でご馳走してもらう。
久しぶりにwifi環境があるのでアンボンの上陸地と宿を探す。
予約ができないので当日飛び込みで聞きに行くしかない。
2/8 21.8km
昨晩は久しぶりのWi-Fiに感動して全員夜更かし。
夜中にスコールがあったりと寝不足のまま朝を迎える。
コーヒーをいただき、みんなに見送られ8時半過ぎに出発。
西に多少流れていたがそれほど強い流れではなく一安心。
15キロ漕いでタピという村に上陸しようかと思ったが、小さい村でワルンもなさそうなのでさらに5キロ漕いでアランへ。
ビーチで子供達が木の板でボディーボードして遊んでいる。
浜に流れ出る川で洗濯や水遊び。
上陸して挨拶すると子供達に案内してもらい商店へ。
結局このあたりの村はどこもワルンはないとのこと。
カップラーメン食って商店の店員と話しているとサービスでチョコもらう。
ビーチに戻って昼寝していると前の家に住むアンピがコーヒー飲めと誘ってくれた。
家に行くといきなりアラックが出てきて昼間から酔っ払う。
カナリ(アーモンド)を割って食べさせてもらうが、クリーミーで美味い。
アンピは目の前の海で電灯潜りの漁師をしている。
アンボン出身で1年前にジャカルタから帰ってこの村に家を建てて暮らし始めた。
都会育ちの子供達はまだ地元の子のように海で遊んだりはできないらしい。
アンピの漁師仲間も集まり、魚とタコをもってきた。
夜になると川の近くにはワニがいるから気をつけろと言われ驚く。
まさか都会に近いこの場所にもワニがいるとは思わず、全く警戒していなかった。
話聞いていなかったら夜ワニに遭遇していたかも。
キビーは子供達をカヤックに乗せて遊ばせている。
子供達は日頃から遊んでいるのでみんな身体能力高い。
その後ワニ探しに行くもワニは見つからず。
暗くなるとまた子供達が集まり今度はワニ探しと魚を捕まえて遊んでいる。
みんな本当に逞しく、他の村より子供達が狩猟への興味が強いことを感じる。
夕飯はアランの嫁のリタが友達からもらったタコと魚を料理してくれてご馳走になる。
リタには日本から子供達の学校に寄付してもらえるようにお願いして欲しいと頼まれた。
生活はジャカルタにいる時より厳しいが家族がいるからとても幸せだと言っていた。
どこも仕事がなく暮らしは楽ではない。
今日は流石に晩飯はご馳走になれないと思っていたので、またまたラッキーな出会いがあって助かった。
風が心地よく星空も綺麗でみんなで堤防に座りながら22時頃まで話す。
長かったキャンプ生活最後の夜だ。
哀愁漂うとてもいい夜だった。
明日は最後のパドリングを楽しもう。
2/9 15km
6時起床、朝からコーヒーとロティーをいただく。
サゲルという酒をもらうが渋すぎて不味かった。
片付けをしているとリタがテントを欲しいと言ってきた。
さすがに高いのでごめんなさいと言うと何やら不満そう。
それこらは気まずい雰囲気だったので、恐らく彼らは我々にチップか何か見返りを期待していたのかもしれない。
これ以上長くいるとさらに気まずくなるので、さっさと準備して御礼を言って出発。
なんとも最終日に後味の悪い朝となった。
海は時折向かい風になるが穏やか。
空港近くにある目星をつけていたダイビングショップに到着。
ちょうどダイビング終えてゲストと帰ってきたので、上陸してマネジャーと話したいと伝える。
たまたまいたゲストに話しかけられると日本人であると判明。名前は小幡さん。
僕らのカヤック旅に大変驚きジュースと昼飯を奢ってくれた。
このダイビングショップでは機材を洗うことが難しいとのことなので、小幡さんの知り合いの別のダイビングショップを紹介してもらい、そこを今回の旅のゴールにすることに。
最後に3人で記念写真をとり長かった旅を終える。
片付けしてワルンで飯食っているとオーナーの女性アリが話を聞きにきた。
小幡さんから話を聞いてとても驚いたようで、施設内にテント張って自由に3日間過ごしていいよと言ってくれた。
まさか最後までこんなラッキーなことがあるのかと感動した。
夜はアリの友人家族が旧正月のパーティーをするとのことで夕飯もご馳走になる。
wifiもありビーチ沿いの施設でビールを飲んでくつろげてリゾート気分を味わう。
本当に最後までインドネシアの皆さんには面倒を見てもらった。
カヤック旅は今日で終わりだが、アンボンを経つまでまだ3日あるのでゆっくり仲間達との時間を楽しみたい。
最後に
ゴール地点が変更になったものの、結果的にはそのお陰でセラム島やアンボン島の漁村の人々に出会えることができました。
今回は17の漁村を訪れ、グーグル翻訳を使いながら彼らの暮らしを教えていただきました。
田舎でお金を稼ぐことは決して楽ではないものの、漁師をして村に残り家族と幸せに暮らすことを選ぶ若者もたくさんいました。
子供は朝からパンを売り、親の手伝いをする。
学校が終われば今度はさらに小さい子供達の面倒を見ています。
大人は近所の子供も自分の子供と同じように接して育てます。
漁に出る時はみんなで力を合わせて船を運び、漁が終わるとみんなで協力して網を片付ける。
一家族では金銭も人手も足りないことで住民同士は結束、協力、協働して村全体が固い絆で繋がり、みんなで力強く生き抜いているように見えました。
そんな必死で生きる彼らの元をカヤックで訪れ、今回も有難いことにたくさん飯と寝床を用意していただきました。
彼らの笑顔と優しさ、そして力強さ。
彼らと共に過ごすと本当に心が満たされ充実します。
日本で暮らす日常とは違う、豊かさや幸せが彼らの暮らしにはあるように感じてなりません。
我々は何のために働き、何のために生きるのか?
幸せとは果たしてなんだろう?
日本は物理的には豊かでも心は豊かになってるのだろうか?
自分達の生き方、考え方を改めて見直す機会をまた与えていただきました。
今遠征を行うにあたり
応援していただいた皆様、
サポートしていただいた皆様、
そして愛する家族に心から感謝申し上げます。
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