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インドネシア ウェーバー線横断遠征レポート

  • 執筆者の写真: outise
    outise
  • 3 日前
  • 読了時間: 43分

更新日:2 日前

計33日間、1000キロに及ぶウェーバー線への挑戦が無事終わりました。

ルート変更はありましたがウェーバー線横断という目標を達成できたことは素直に嬉しく思います。

それと同時に今回の遠征は過去最長のルートと期間を設定し、自分達の体力や精神面の限界を知ることができた旅でもありました。自分の弱さに情けなさを感じ、絶望する日々でした。


事前の計画では天気予報は使わず漕ぎ進む予定でしたが、いざ現場に出るとそんな甘くはありませんでした。海流や潮流に関しては手持ちの潮汐表とは大きな誤差があり、特に不規則に動く海流には悩まされWindyなしで進むのは非常にリスクが高く難しいと感じました。


体感的にはWindyの風予報は精度が低い一方で、海流予報は精度が高いと感じました。今回Windyを毎日確認したことで1〜2月のインドネシア全体の風や海流の傾向を掴めたことは非常に大きいです。この知識は今後の遠征にも役立つはずです。


ナビゲーションに関しては基本的には地図とコンパスですが、スマートウォッチのGPS機能を使って時速と距離は常に計測してます。海峡横断では計測したデータを元にナビゲーションにも反映させております。

現代的な機器を持たないことがより冒険としての価値を高めます。しかしそこに執着し命を失うことは望みません。

我々なりにリスク許容度とリスクヘッジを見極めた結果、今のナビゲーションの形が生まれました。


これが旅ねしあのスタイルであり、高い安全性と正確性を武器に難易度の高い海峡横断に自信を持って挑むことができています。


旅のすべてを嘘偽りなく日誌としてここに残します。


【インドネシア スラウェシ-マルク遠征 ウェーバー線横断】


日程 

2025年1月14日〜2月22日


漕行日数

33日間


漕行距離

1000km


メンバー 

運天陵(Sunwave Kayaks) 

佐藤瑛彦(Nomad Kayaks) 

南平純(OUTISE)


使用艇 

WATER FIELD KAYAKS

シメスタ5分割×1艇 海燕5分割×2艇


協賛 

Bayan Craft様 

久保田様


本遠征はNEWWORLD OUTDOORSMAN AWARDによる遠征補助を受けて実施されました





1月16日

5時30分に起床。目の前の海から百点満点の朝日がのぼり、地元の子供達が朝から海に浸かって遊んでいる。準備を済まし近くのワルンで朝食のナシクニンを食べる。前日の準備から寝床と世話になりまくったカリッサカフェの皆さんにお別れの挨拶。空港から徒歩3分にこんな親切なお店があって助かった。7時30分にいよいよスタート。気持ちの良い緊張感でこれから始まる旅に胸を躍らせる。まずは対岸のペリン島へ20キロの横断。上げ潮なので西に流れるかと思いきや、東に流れる。軌道修正すると後半からは反転流で大きく西に流された。岸沿いについても流れは早く辛抱強く漕ぎ進む。暑さと日差しに体力を徐々に削られ辛い。最後は集中力も切れてしまった。たかが30キロがこんなに辛いとは。5時間半漕いでヘトヘトになりながら上陸。クリスチャンの村。ビーチにいた人たちに声をかけて昼食食べられるワルンを紹介してもらう。自分は鶏肉、2人は魚を。この近辺の海岸線は本当に美しい。これぞ秘境。今日の目的の一つの湖へ。本土から来た観光客や地元の方で賑わっていた。透明度抜群でここも素晴らしい。地下水が沸いてるのか水温はとても低い。水浴び後はこの村で泊まりたかったがビーチがなく平坦なスペースがほぼないため先の集落へ5キロ移動。計35キロ。湾内は湧水の影響か海水の濃度も低い。マングローブの入江は絶景だった。クリスチャンの村オンブリに。砂州のような形になっいて、その先端に小屋を見つけた。

地元のおっちゃんに許可をもらってここでテント張らせてもらう。村の人は挨拶しても反応がイマイチだったので交流はできず。村に上がっても歓迎されることばかりではないのが現実。街にも近いため外国人にも慣れているのかもしれない。楽しみにしていた村人との交流も不発に終わり、精神的にもどっと疲れ切ったので、さっと夕飯食べて21時就寝。



1月17日

5時起床。昨夜は日記を書き終え眠ろうとするとスコール。爆風の中みんなでテントを押さえながらフライをかける。メッシュテントのためびしょ濡れ。ただそのおかげで暑くもなく快適に眠れた。寝る前に涼しい桟橋にテント張りたいと思っていたが、桟橋に張ったらテント吹っ飛んでいたに違いない。朝食を作っていると大きめの船が漁から帰ってきた。巻き網でツナを獲っている。昨日の村の人の雰囲気とは違い漁師はみんな笑顔でいい人だった。魚あげるよと言われたが今から一日海のため断る。8時に出発。昨日に続き体が重い。まだフル積載のカヤックを漕ぐには時間かかりそうだ。20キロ地点で一旦上陸してココナッツ休憩。暑い日はココナッツに限る。1時間ほど休んで再出発。35キロ漕いでバカラン島のブンギンに到着。バジャウの杭上住居が見えたので話しかけてみる。上陸を快くうけいれてくれたので係留させてもらう。昨日とは打って変わって歓迎ムード。2日目にして目的のバジャウとの交流が叶った。村長が直々に世話してくれることになった。昼飯にミーゴレンとピサンゴレン。久々の家庭料理は美味い。その後少し移動して村の端の道にテントを張らせてもらえることになった。夕食はツナの焼き魚とミーゴレン、ピサンゴレン。村長の娘は日本に2年住んでいたらしくテレビ電話も繋げてくれた。世話好きの村長でとても親切にしてもらった。



1月18日

5時起床。朝食をご馳走になり飲み水を頂く。最後まで本当に親切にしてもらった。村のみんなに見送られ8時出発。とにかく今日は朝から暑い。バカラン島の北側に回るまでの1時間ですでに暑さでヘロヘロ。そのままダイレクトに次の岬へ向かう。追い風で好調、2時間ほど漕いで岬に着く。円錐カルストの美しい景色だったので休憩がてらドローン撮影。たまたま近くでタコ漁をしていた漁師がビーチに上がってきたので話す。近くのタタカライ村に住むバジャウだった。当初の目的地にはバジャウがいないということで、これも何かの縁。彼の住むタタカライに予定変更。1時間ほど漕ぐと杭上住居の町が現れる。村に近づくなり近くにいた子供達が十数名集まりだす。どうやら観光客は珍しいらしい。ビーチがないため船を係留させてもい上陸して子供達と村を歩きながらワルンへ。もう昼も過ぎていたので閉店していたが、残ったおかずや前の魚屋が魚をくれて昼飯にありつけた。腹一杯食って1人50円。係留した家に戻って近くの東屋にテントを張る許可をもらう。この村のみんなも優しい。近所のおばちゃんとおっちゃんのバレーを見ながら近くの家で水浴び。夕方は例外なく子供達は水遊び。沖では女子高生達がカヌーに乗って遊んでいる。本当に素晴らしい光景だ。日本人は珍しいのでどこへ行っても写真撮影をお願いされる。もう少し若ければ良かったが汚いボロボロのおじさんなのが申し訳ない。日が沈みテントを張り、まったりと過ごす。自分は暑いので外でゴロゴロしていると近くの売店の男性がうちにおいでと誘ってくれた。紅茶を飲みながら翻訳機で話す。彼はバンガイ人でバジャウの奥さんと結婚した。先ほど写真を撮った女子高生のお父さんだった。漁師ではなくタコの仲買人。売上表を見せてもらったが、2キロの大きなタコだと1匹千円ほどで売れていた。この地域の話を色々と聞かせてもらう。茹でタコをもらったら米と魚も出てきて結局ガッツリ夕飯をご馳走になった。今日も地元の方達といい交流ができた。


1月19日

5時起床。夜中のアザーンの爆音もすっかり慣れて子守唄のようにぐっすり眠れたが、いかんせん睡眠時間が短いので眠い。近くの市場へ行くと朝から村の女性陣が買い物に沢山きている。鶏ガラのおかゆを食べ、ロティを昼飯用に買う。7時半出発。今日は曇っていて涼しい。快調に2時間ほどで荒れやすいと聞いていた北西部の岬を回る。今日は穏やかで一安心。このあたりはタコ漁が盛んでみな船から身を乗り出し顔をつけて水中を見ている。片手にはパドル、片手には糸。たまに顔をあげ器用に沿岸ギリギリをパドルで操作している。時間に余裕もあるのでビーチで2時間ほど休憩。昼からまた2時間漕いでサカイ村へ上陸。南北に6キロ、6つの集落が繋がる大きな町。上陸地点にいたエファンさんに許可をもらう。エファンさんの奥さんは英語話すらしく、彼も少し英語が話せる。9時以降なら目の前のモスクに泊まって良いとのこと。水も浴びれてトイレもあるし何より安全。最高の宿を手に入れた。この村は昔日本の会社がニッケル掘っていたらしいのでサカイという村の名前はその名残ではないかと彼は言う。9時まで時間あるので街を歩き買い物と夕飯。ワルンではココナッツの仕事している英語堪能な男性に出会う。天気のことなど色々と教えてもらう。ツバメの巣のコーヒーがあるということで注文。そのまま店で図々しくゴロゴロしていると子供達が漢字を書いて欲しいと行ってきたのでサインした。みんな礼儀正しくとても良い子達。ずっと漁村にいたのでこの町はかなり都会に思えた。若者もオシャレしてボロボロの服を着た人も見当たらない。同じ島でもこれだけ違うのかと。9時になりモスクが使えるようになったのでテントを張って寝る前に水浴び。日頃のベタベタから解放されてスッキリ最高の気分のまま就寝。モスクで寝られる日が来るとはなんとも嬉しい。


1月20日

4時半前に礼拝のため起こされる。こんな早くに子供達も礼拝している。慌ててテント撤収したが、特に外だから気にしなくて良いとのことでそのまま二度寝。6時に起きて昨日買ったパンを食べてみんなでお世話になった方々と記念撮影して7時半出発。5キロ先のカルンバタン村へ。下潮で南に潮は流れていたので、追い潮使ってあっという間に到着。ドローンと一眼で杭上住居とカヤックの撮影。みんなカヤックできたことに驚いているようだ。岬のビーチに上陸して村を歩いてみる。今にも踏み抜きそうなボロボロの木の板の上を慎重に歩く。地元の人たちは何も気にせず携帯触りながら歩いているのがすごい。道に迷いながら散策しているとアドリアンという若者が英語で話しかけてきた。彼はスラウェシの大学で英語の勉強をしているとのこと。大学の休暇で帰省中。ワンピース好きで日本語も少し知っている。彼と昼食をとりバジャウについてインタビューする。その後市場で買い出ししてバンガイ島のオヤマビーチへ。いろんな人に勧められたので行ってみることに。上げ潮は北と聞いたが結局渡ってみると南に流れていてよくわからない。ビーチに行くもキャンプはしにくそうなので戻って湾内の快適そうなビーチで上陸。撮影がてらみんなで魚突き。それぞれ2匹づつ突く。濁っていたが一年ぶりの南国シュノーケルは楽しい。魚は少ないがサンゴは綺麗だった。夕飯中はモッコの襲来にあい発狂した。夕方のビーチはやはり危険で外にいれない。あまりの痒さに食欲もなくなってしまった。19時頃にはモッコも落ち着きこの先のルートをミーティング。17日後を目標に450キロ。1日25キロを積み重ねていかなくてはいけない。そしてそこから100キロの横断と考えると一気に不安と緊張で気分が落ちる。そのまましんみりなムードになってお開き。あと17日間この不安と向き合いながらいくと思うと嫌になる。


1月21日

6時起床。久しぶりに長い時間眠れた。朝食作ってゆっくり準備したら9時出発と遅れる。下げ潮に乗って予定通り快速で南下。そのままトウラン島の沖を通ってラボボ島へ渡ろうかと言うときにキビーがバンガイの町にやっぱり行ってみたいと言うことで寄り道。ちょうど転潮を迎えたのか想像以上の向かい潮で厳しかったのでよかった。12時頃に上陸して町ブラ。今まで寄った町では1番都会。大きな町に行くと田舎の村のように歓迎されることはないので少し寂しいような気もする。市場で昼飯食ってバジャウがいそうな区域も寄ったが新たな発見はなし。歩き疲れてモスクで昼寝。先日モスクに泊まってからすっかりモスクの虜になっている。帰りは前に2人乗れる変わったバイクタクシーがあったので記念に乗って戻る。転潮して下潮に変わったので再出発。1時間ほど漕いで隣町のゴンゴンへ。ビーチはないがたまたま上陸しやすそうな場所を見つけて上陸。空き家だったのでカヤック置かせてもらう。ちょうど前のおばあちゃんが庭の芝生にテント張って、モスクの水使って良いよと言ってくれた。風呂と寝る場所も決まったのでまた町ブラ。クリスチャンの集落まで歩くがアップダウンが体に堪える。バジャウは一番南の集落ということで遠かったので諦めて戻る。さっきあったおじさんに食堂教えてもらって早めの夕飯。帰りにテント場近くで水とwifiゲット。ここも観光客に慣れているのか子供以外あまり話しかけてこないのでのんびりスマホいじりながら夜を過ごす。明日は南にある島へと渡ることになった。


1月22日

4時起床。下潮を使って南のブルタン島のブミバハリ村へ行くので、1時間早めて6時出発。順調に潮に乗って1時間半でバンガイ島の南東端へ。ここから30キロの島渡り。少し漕ぎ出すと島がうっすら見え出した。180度に見えていた島がずれ出したので修正。眠気と闘いながら3時間で到着。前半と後半に少し流れがあったが特に問題なく渡れて一安心。マングローブの入江の中にある集落に上陸。たまたま外にいたアリ一家が出迎えてくれた。杭上住居にカヤックを係留させて家に上がらせてもらう。紅茶でもてなしてもらい、そのあとは町ブラ。夜の5時間だけ発電機で電気がつくらしい。海側は涼しいが村に入ると灼熱。冷たいジュースを飲んで休憩。そのあとアリの家に戻り1時間ほど昼寝。13時頃から風が吹き上がり家が揺れる。早めに出発してよかった。今日がたまたま風が強いらしいが、基本的には昼からは風が上がるらしい。だから午前中だけアリは漁に出ているとのこと。昼飯に魚をご馳走になる。スープが激うま。夕方は外で地元の子供達と触れ合う。インドラという青年がキビーと仲良くなり家に招待される。コーヒー、パン、夕飯までご馳走になり腹パン。アリの家に戻って就寝。スラウェシの島陰から抜けていよいよ北風の当たるエリアに来た。明日は風が収まるのだろうか。午後から風が強くなる傾向にあるのは理解できたがこれほど強いと島渡りはできない。夜もまだ強い。この先に控える100キロの横断に向けて天気を覚える必要がある。


1月23日

4時起床。昨晩は蚊とダニと騒音で眠れず。おまけに昨日買ったパンを猫に食われる始末。朝から全員げっそり。6時20分に出発。昨日より少し風は収まって5〜6m/s。風は北〜北東。思っていたより順調に進めて2時間で10キロ地点の島陰で軽く休憩。20キロ地点の島に行こうかと思ったが、予想より良いペースのためさらに先にある島を目指すことに。昼はビーチで休憩。結局風はずっと強めのまま。明日の横断に控えさらに3時間かけて10キロ進んでボカン島のカウクス村に上陸。今日は2本細い水路を通ったが、上げ潮は北、下潮は南で間違いなさそう。下潮の方が圧倒的に流れは早いことから常にモルッカ海からバンダ海に海は動いているのだと思う。現場を漕がないとわからないことは多い。村に到着後は前の家で水浴びとコーヒーとパン。それから息子のバックリーの家でまたコーヒー。そして区長と村長に招かれ村長の家でまたコーヒーを飲み夕飯ご馳走になる。区長は先日行ったバジャウの村(カルンバタン)の出身でたまたま話した男性は従兄弟だった。日本人でバジャウの研究をしている中野さんの調査にも協力しているとのこと。この季節は海は風が強くタリアブ側に行くのはかなり波が高いから危ないとのこと。止められはしなかったが心配はしてくれているようだ。明日のティンパウス島への横断は想像以上に難しい横断になると思う。かなりビビらされて既に明日のことを考えるのが怖い。100キロ横断の前哨戦となるこの横断。しっかりと判断して渡りたいが、無理なら諦めて戻る可能性もある。渡ることに執着して死なないようにしたい。


2月24日

朝起きてもやはり不安は消えない。夜windyを見ると11時には強い下潮へと変わる。このまま5時から漕ぎ出しても下潮で南へ流されることは分かっていた。明日の方が予報も良いし、今日は無理せず東側へ実際に行って岬周辺や沖の様子を見ることに。バックリーが朝から紅茶を出してくれてゆっくり二度寝して過ごす。買い出しをして11時半に出発。バックリーはカヤックではティンパウス島に渡るのは不可能だと言っていたが結局一度も止めることなく最後まで世話して笑顔で送り出してくれた。今日も風は昨日と変わらなず4〜6m/sで漕ぐには問題ない。下潮最強時で北の岬はバックリーの言う通り北風とうねりが重なり波が高い。横断もこの波なら難しい。岬を越えると波は落ち着き、少し南下して13時頃に東海岸の湾の奥のビーチへ上陸。沖は下潮の影響で波が崩れているのが見える。こんな美しい景色なのに絶望感しか生まれないのはセラム海峡以来。恐怖心と重なりいつものように話す気になれない。しかし15時頃には転潮で上げ潮になると、海は落ち着きだす。やはり下潮は速いが上げ潮はそれほど流れないようだ。これなら行ける!明日は5時半ころの夜明けと共に出発して下潮が始まる10時頃には島に近づきたい。最低でも時速5キロ4時間のペース。もし時速5キロを切るようなら諦めて戻る。判断は漕ぎ出して2時間。運良く上げ潮が北に流れて上手く使えたら島を北から回り込み東側の集落へ。回り込めなくて西側に上陸するとこになっても一旦島で潮待ちして午後の上げ潮で東側に回り込む。極力下潮に海にいる時間をなくす。漁師の話だけ聞いていても怖くなるので実際に移動して海を観察できたのはよかった。恐怖心に押し潰されそうな1日だったが最後に希望が持てた。まだまだ不安は大きいが楽しみでもある。明日から前半線最後の難所。勝算はあり決して無謀ではない。全力で挑もう。


1月25日

3時起床。朝食中に風が収まり運を味方につけたかと思ったら、爆風スコール。30分ほど降って風も落ち着くが、さすがにこれだけ不安定な天気では出発を躊躇する。無情にも出発時間の5時半を過ぎる。2人は行く気満々だが、自分は出るか迷っていた。風はないので漕ぎ出したい気持ちはあるが勇気がいるコンディション。今日でなかったことを後悔するかもしれない。ダメなら戻れば良い。6時意を決して漕ぎ出す。風がないから4時間あれば着くかも。早々に予想外に南に流されるがそのあとは流されることなく順調に最初の1時間は7キロオーバーで漕ぐ。やはり上潮でも北には流れることはなかった。空は高いし天気は問題ない。途中から北風が少し上がったが、また落ち着き5キロ代で漕ぎ進む。西よりのうねりがうっすら入ってたので、引っ掛けながら漕げばうねりに乗れて風のわりには楽に進んだ。windyの予報通り9時半には転潮して下潮の南の流れになったが島はもう少し。外すことはないので慎重に近づいていく。4時間漕いで無事到着。快晴でエメラルドブルーの海が出迎えてくれた。この2日間、不安で感情の浮き沈みが大きかった分、達成感は半端ない。20キロの横断でもこれだけ追い込まれたことは過去にないと思う。10日間海を見てしっかりと海を理解できたことが大きい。もちろん天気も味方につけれて運も良かった。北の岬を回って東側のカスアリという町に上陸。漁師がサメを捌いて干物を作っていた。早速町ブラしているとエファン達がカラオケをしていて招いてくれた。冷たいジュースがうまい。昼飯にこの旅初のサゴ椰子と焼き魚。うまい!数時間前までビーチで絶望に打ちひしがれていたとは思えない幸せな時間。その後もエファンの家で昼寝してwifiしてまた夕飯ご馳走になってダラダラと過ごして近くのグラウンドでテントで就寝。


1月26日

4時起床。5時半出発。上げ潮でなるべく北にのぼりたい。風はそんなに強くないが波があるのでスピードは出ない。それでも5キロ代で漕げているので問題なし。朝からコンパスの方角がイマイチ。島の少し北側を目指して漕ぎ進む。島の手前は思っていたより北に流れていて方向修正したくらいで特に問題なく3時間半で到着。まだ9時なので集落に行くのも早すぎると思い、近くのビーチへ上陸。早速コプラの作業していた男性がやってきてココナッツを飲ませてもらう。この島の人はカスアリの人のFBで自分たちの存在を知っていた。ポリスのハムザも来て久しぶりの取調べ。身元証明はボカン島で終わっていたので、健闘を祈ると応援してくれた。その後ゆっくりビーチで過ごし集落へ。日陰で寝ているとポリスのハムザがきて嫁さんの実家で昼飯食わせてくれるとのこと。彼はハルマヘラからの移住者らしい。たまたま義理の叔父が日本に昔住んでいて日本語話せるから電話してくれた。昼飯をご馳走になり水浴びして軒下でまったり。気づけば夕方。夕飯はマングローブで獲ったノコギリガザミ。獲りにいくと行ったが、実際は気を遣わさないために買ってきてくれたのだろう。久しぶりに食べたがめちゃうまい。今日は軒下にテント張らせてもらう。とても気遣いできる男で最高のもてなしをしてもらった。


1月27日

5時起床。風がなく暑くて寝苦しい夜だった。4時半にはアザーンや鶏に起こされる。起きて早々ハムザが朝食とコーヒーを用意してくれた。本当に気の利く良い男だ。村の沢山の人に見送られ6時半過ぎに出発。最初は上げ潮だが、風と相殺しあってほとんど流れず。予定より30分早く11時にタリアブ島のカラマットという村に到着。これで330km漕いでようやく前半戦終了。中央スラウェシ州から北マルク州に変わり、時差は1時間プラス。到着後は東屋で昼寝。離島の田舎のように特にもてなされることはない。前のおじーにワルンを案内してもらい飯食ってそのまま夜までwifi使ってダラダラ。ワルンのオーナーが水浴びて泊まって良いということでそのままテラスにテント張らせてもらう。明日から中盤戦。タリアブ島はワニが多いということで気をつけていきたい。


1月28日

下げ潮使いたいので今日はゆっくり6時起床だが全員寝坊。6時半頃に起きてゆっくり朝食して9時半出発。出発して30分くらいすると南西風が強くなる。ずっと北東風だったのになぜ南下する今日に限って南西風なのか。本当に都合よくいかず腹が立つ。ただ追い潮といこともありそれほど速度は落ちずタリアブ島の最南西端をまわる。この頃にはすっかり風も落ち着き南岸に出た頃には無風。ここから永遠と200キロ近く海岸線を漕ぐことになる。殺風景すぎて1時間漕いだら飽きがきて辛くなる。やはりカヤックは島渡りか断崖絶壁の海岸線に限る。昼過ぎにはサーマル吹き始めて少し波風。山が高く北風の影響はやはりないので南岸は穏やか。予定より早い14時半にカワロという村に到着。すぐ人が集まりココナッツを頂く。そのあとは昼食もご馳走になる。魚と野菜たっぷり食べれて幸せ。主人のおじーは若い頃に趣味で帆船でシンガポールに数回渡ったことがあるらしい。砂浜に戻り休憩するも子供が集まりすぎて休まらない。家で飯食ってけと言ってくれる人がいたので水浴びと夕飯をまたご馳走になる。男性はまさかの無職。夕飯は卵焼き一欠片と米のみ。生活は厳しいように見える。無理して誘ってもてなしてもらって若干申し訳ない気持ちになった。途中英語教師がきてタリアブの話をきく。寝る前にこれからの予定を話し合う。まずは5日後150キロ漕いでサナナ島の対岸まで行くことに。パガマ島から100キロ横断してテルナテまで行くのか、それともサナナ島から南下して80キロ横断してアンボンを目指すのか。どちらもウェーバー線は越えれるので問題なし。今の所100キロの海峡は毎日7mくらいの北風が吹いていてなかなか厳しい予報。20時間以上を7mの向かい風で果たして体が持つのか?70キロの海峡は地図がないが恐らく問題なく渡れる。パガマ島まで行ってみて海を見て諦めてuターンすることもできるが、120キロ余分に漕ぐことになる。そのまま70キロ横断コースに行くのがベストな気もするが当初の目標を諦めきれない気持ちもある。今の段階でどうするのか決めきれない。


1月29日

6時起床7時半出発。今日は頑張って遠くまで行こうと意気込んだが17キロ漕いだ村で飯食って昼寝したらやる気無くす。川に寄り道するとココナッツの収穫に来たグループにまた腹一杯ココナッツご馳走になる。ワニを探すも見つからず。結局いつも通りの30キロを漕いでマルリ村に上陸。漁船が多く、沖に泊まった大型船にコプラを運んでいたりと活気あり。ビーチは砂利で人もそれほど集まってこず快適に東屋で過ごす。漁師ははえ縄漁でツナをとっている。一度の漁で100キロほど取るらしい。キロ100円らしいのでそれなりに良い収入。他の町に輸出せずこの町で食べている。夕方になると徐々に東屋に人が集まりだし2時間ほど大人から子供まで100人近い人に囲まれた。なかなかカオスな感じでおもろかった。寝る前に近所の家で夕飯をご馳走になり、就寝。いろんな話できて楽しかったがちょっと人疲れした。


1月30日

6時起床。本日も朝から大勢が集まる。4000人いる村だと常に新しい人が見にくるので騒がしい。ポリスもやってきて身元証明があったが問題なし。8時過ぎに出発。追い潮に乗ってあっという間に3時間で25キロ。今日は朝から暑くてペースが上がらない。上陸地点までまだ15キロあったのでビーチで昼休憩。13時半に出発。腹も減ったし後半はバテバテで16時にワイカダイ村へ上陸。久しぶりの40キロオーバーはなかなか辛い。ビーチは昨日と打って変わって赤土。ここまでくると島に大きな山がなく北側の海岸も近いので北風が南海岸線まで抜けてきている。町ブラするも村人の反応がいつもと違う。特に女性は顕著でこちらを見てもニコリとも笑わない。ムスリムの村かと思ったが、よく見ると女性の格好からクリスチャンが多い村だった。初日もそうだったが、クリスチャンの村では基本歓迎は受けないことはわかっている。村人とのコミュニケーションは難しい。ビーチ前のムスリムの家で水浴びさせてもらえた。ココナッツも取りに行って食べさせてもらった。今日は朝から何も食ってないので身に染みるうまさ。屋根付きの広場でテント張らせてもらって夕飯作って終了。クリスチャンとムスリムの村の雰囲気はどうしてこんなに違うのか。居心地の悪さを感じつつ早めに就寝。熱中症だったのか頭が痛い。あと左ふくらはぎの傷が少し化膿気味。


1月31日

6時起床。朝食のお茶漬けが最高にうまい。だらだら準備して8時50分出発。すぐ西風が強まり追い風で楽に進む。2時間半漕いで近くのワイコカの集落で昼休憩。ビーチ近くは廃村になっていて何か不気味。風は北風に変わり雨が降り出し寒い。東屋で休んでいると村から歩いてきたムスリムという男性がうちに来て飯食べろと言ってくれたのでついて行くことに。1989年に津波で海辺の集落は流され、丘の上に新たな集落が造られたらしい。家も綺麗で下の不気味さから想像できない。ムスリムはマナドとフィリピンの間にある島から祖父と漁師になるため11歳で引っ越してきた。風もあるし雨も降っているし今日はウチで寝ろと行ってくれたのでそのまま泊めてもらうことに。水浴びして昼寝。フカフカのベットはいつぶりだろう。とにかく今日は寒い。この辺りは北風が抜けるのでやはり雨季らしい。島の西と東でこんなに気候が変わるのは面白い。昼寝後にコーヒータイムしてまた夕飯。魚が取れなかったので卵1個と米。食うものないのにご馳走になり申し訳ないが、気持ちだけで嬉しい。今日も人があまり集まらずちょうど良い距離感で快適に眠る。


2月1日

5時起床。朝からパンとココナッツライス。余った朝飯はタッパーに詰めて弁当にしてくれた。何から何まで本当に世話になってしまった。7時過ぎに出発。追い潮にのり順調。岬近くで速い潮流に捕まり30分ほどルームランナー状態。沖に流されかけたので岸よりに寄るがなかなか近づけず。なんとか頑張って岸沿いギリギリを漕いで脱出。もし昨日の風が強い中渡っていたらどうなっていたのだろうか。引き留めてもらって助かった。20キロちょっと漕いで近くの村に上陸。ムスリムのフィラ家族がすぐ声かけてくれて東屋で昼休憩。弁当食べ終わるとタッパーに夕飯を詰めてくれた。ムスリムの家系だが彼女はクリスチャンと結婚して改宗。快適すぎて出発を躊躇ったが、重い腰をあげ出発。海岸沿いは石灰岩の美しい景色。風裏で漕ぎやすい。10キロ漕いでブヤに上陸。近くの商店で冷たいコーラを飲んでwifiして水浴びしてダラダラ。商店のズルファンは2年前にブトン島から妻と引っ越してきた。気の利くとても良い奴。港の前の広場の東屋で弁当。ズルファンに頼んでこの旅初のビール。ちょうど中間地点ということで打ち上げ。飯食っていると昨日会ったこの村に家があるナンチェさんがやってきてまさかの2度目の夕飯。今日は5食たべて食いすぎた。明日訪れる村もナンチェさんの妹がいるということでよろしく伝えてもらった。数珠繋ぎ作戦成功なるか?



2月2日

6時起床予定だが雨が降っていたのでダラダラ。結局7時前にゾロゾロ動きだし、8時半に出発。3時間漕いで岬で休憩。ドローン撮影してチャパルル村に上陸。自分達が来ることを知っていたポリスが待ち構えていた。到着してソッコー昼飯にパンをくれた。水浴びていつものように東屋で昼寝。ポリスと役場の人と寝起きでアラック飲む。そのまま横の家で夕飯もご馳走になり、至れり尽くせり。かなりの歓迎ムードで助かった。酔っ払ってそのまま就寝。


2月3日

6時起床。昨晩は人の声や急なスコール、暑さで全然眠れず。昨日仲良くなったポリスのアリオの家があるサナナに行く予定。先の予報を見ると天気はいい。このままサナナに寄らずにパガマ島へ2日間かけて漕いで2月6日に100キロ横断できる。しかし本当にWindyの予報が当たるのか?例え予報が当たって渡れたとしてもこの先テルナテまでの400キロを向かい風の中本当に漕ぎ切れるのか?話し合った結果、今回はテルナテを諦めてアンボンに行き先を変更することに。アンボンを目指せば風が安定しているサナナ島からブル島の80キロ横断は確実にできること。ブル島からアンボンまではダウンウィンドになるので体への負担が少ないこと。などなど。色々と行かない理由は考えられるが一番は自分と運天がテルナテまでの過酷な旅路へのモチベーションが上がらなかったことだと思う。もしかしたらキビーは行きたかったのかもしれない。申し訳ないことをした。つくづく自分の弱さに嫌になる。確実にゴールへ到達できるアンボンへと行くことになった。9時頃出発。下げ潮で西に流されながらサナナ島へ渡る。リーフ内でドローン撮影をして近くの海上にある小屋に立ち寄る。バジャウが刺し網をしていて休憩所となっていた。彼はバンガイから来たらしい。近くにバジャウの村があるということで昼飯がてら立ち寄る。村の名前はバジョ。船を係留して街を歩き、昼飯ゲット。流石にサナナが近いので活気がある。子供達は海に飛び込んで遊んでいてバジャウらしい光景が見れた。その後サナナへ移動。ビーチに上がると男性が声をかけてくれて近くの家をベースにさせてもらうことに。物が盗まれないか心配だったのでベースがあると助かる。昨日仲良くなったサナナ在住のアリオに連絡するとすぐ来てれた。大家さんとは友達でチャパルル出身者という奇跡。アリオの家にバイクタクシーで移動して夕飯と酒。35歳にして豪邸に住んで子供5人はテルナテの学校に通っている。警察の給料は相当良いのだろう。ゆっくりさせてもらって22時にベースに戻ると昨日のもう1人の警官とレスキュー隊が挨拶にきた。何かあったら連絡してと応援してくれているようでよかった。サナナから南への横断は潮が早く波も常に2m以上あるとのこと。夜はベースの中にテント貼るも暑すぎて眠れず。


2月4日

7時起床。朝飯食って買い出しして10時半に出発。追い風で順調。4時間で30キロ漕いでベガ村に到着。砂浜が少なく上陸に悩んでいたら地元の漁師が手伝ってくれて、近くに住むムスリムという男性の家で風呂とコーヒーとパンをご馳走になる。噂を聞いた英語教師のアチェとイオが来て話を聞く。英語が通じると話が早い。彼らもチャパルルの人のFacebookを見て自分たちのことを知っていたらしい。すっかりこの辺りでは有名になりつつある。ムスリムの家で晩御飯もご馳走になった。解散後は近くの東屋でwifiしながら高校生達と交流。礼儀正しくて良い子達。バイクも少なく静かな村。スコール降って気温も下がって快適に就寝。


2月5日

7時起床。朝飯ご馳走になり9時半出発。今日は風もなく暑い。17キロ漕いでファカヨー村に到着。あまりの暑さでそのままカヤックから飛び込む。サンゴも魚も亀も多い。サクッと泳いで上陸。目の前の住人が東屋使って良いよということでベースに。水浴びしてワルンに連れてもらう。近いと言っていたが想像以上に遠く30分くらい歩いたワカビーチまで。こっちの人の近いは当てにしてはいけない。飯は普通な割に観光客価格で高い。インスタントのソトアヤムと揚げすぎのピサンゴレンと飲み物で1900円とイラっとする金額。せっかくなのでビーチでダラダラ。砂浜が少ないこのエリアでは美しい白砂は意外と珍しい。戻って夕飯作ってwifiして就寝。横断は明後日の明朝から。明日はこの旅で初めての休養日。


2月6日

本日は休養日。7時頃に起きて朝飯にパン買いに行ってダラダラ。10時頃から魚を突きに海へ。相変わらず水もサンゴも綺麗で魚影も濃い。もちろん魚が多くても突けるとは限らない。自分はナミハタ1匹。みんな苦戦したが計7匹着いて昼飯は腹一杯。明日の横断に向けて日本から持ってきた行動食や水を準備。16時頃に村から誰もいないビーチへ移動。村では子供達が騒がしく夕方に眠れない。夜中に起きるので夕方には眠りたい。ビーチで夕食と明日の朝用に米炊く。最後にみんなの意気込みなどを撮影して19時にテント張る。どんな1日になるのか、不安もあるが楽しみの方が大きい。最短75キロだが海流に流されたりすると思うので80キロは漕ぐはず。前半30キロくらいは東に流れて後半の島沿岸はゆっくり西に流れている予報。3時から日の出の6時半までの3時間半の夜漕ぎに一番流れが早い場所を通過するのでその波が若干心配。海上で数回スコールに捕まるとは思うが海況は終日良好なはず。横断用の海図がないので適当なナビゲーションになりそうだが、今更後悔しても仕方ない。東に流されても的は大きいので外すことはない。集中して漕ぎ切り、ウェーバー線横断を必ず成功させたい。


2月7日

1時起床。眠れるか心配だったがぐっすり。長距離前はいつもよく眠れる性格で助かった。2人はあまり眠れなかったらしい。ほどよい緊張感のなか3時出発。月明かりがあるので海面の動きはよく見える。東の海流に乗りながら行きたいので150〜160°を目指す。昨年船酔いした経験から今年は酔い止め飲んだので問題ない。遠くに見えていた前線の雨雲だったが、4時半頃から真正面に来て捕まる。真っ黒な雲と稲光が光る中に吸い込まれていく。幸い雨だけで風はない。見失わないように固まって漕ぐ。ずっと潮に乗っているのでかなり早く3時間で22キロ。6時すぎには雨雲を抜けて今度は南風が強く吹き出す。風速10m/s以上が1時間以上吹いた。油断すると風沈しそう。8時頃に雲がなくなり島影が15分ほど見えてようやく現在地を確認。思っていたより東に流されていたので170°に変更。かなりのスピードで流れているのかうねりが大きく漕ぎにくい。8時半にイルカの群れに遭遇。イルカがいるということは流れている証拠。まだまだ油断はできない。6時間で43キロとかなり良いペース。10時頃にようやく強い流れとうねりが落ち着き手を止めて休憩。結局はほぼ7時間漕ぎっぱなしで水一口しか飲めていないが、幸い降り続いた雨で暑さはなくバテずに漕げた。ここからはなるべく東へ行かずに岸に寄りたいので180°に。まだうねりは大きいが風はないので大丈夫。1時間に一度のペースで休憩を挟みながら漕ぐ。12時頃には60キロ地点まで。このペースでいけばと2時間でつけると思っていたが、後半は向かい潮で4キロ台までペースダウン。予報通りゆっくり西に流れている。結局80キロを13時間半で漕ぎ切りタンジュンカランという村に上陸。最後の数時間は近そうで着かない辛さでみんなしんどかった。久々の長距離で尻の皮が剥けて痛い。達成感よりキツすぎて感動のゴールも全くテンション上がらず。長距離漕いだ直後はこれだけ辛い思いをしているのに、また挑戦したくなるのはなぜなのだろうか?今日はたまたま昼前から雲がなくなり目標にしていた山がハッキリ見えたので良かったが、もし何も見えなかったらまた違う展開になっていたかも。メイン通りの裏に海がありビーチは人気がないため、とりあえず街ブラしにいく。ボロボロの3人を不審に思った男性が声をかけてくれて集落内の家で水浴びさせてもらう。ワルンが横の村にあるということでバイクで連れて行ってもらった。寝床も前の建築中の家を使わせてもらえることに。米大盛りのナシゴレンとイカンゴレンを腹一杯くって家族に安否連絡。無事何事もなく横断を終えられてほっと一安心。これで今回の目的であるウェーバー線横断を達成できたので、後はアンボンまで300キロ弱のんびり漕ぎたい。


2月8日

8時起床。体のだるさは全く取れず全身痛い。朝食食って昼までwifiしてのんびり過ごす。17キロ先の村まで行けたら行こうということで13時半に漕ぎ出すも、4キロ漕いで隣のワイカシ村のワルンで昼飯食ったらやる気無くして終了。風も少し吹いてるし今日は休養日にしようとなった。ビーチに人は集まるが目が合うとニコリと笑うだけで誰1人として話しかけてくることはない。1時間くらい無言が続き、1人の青年と話し出すと他の大人達も話し出した。みんなシャイ。男性が家の敷地でwifi使わせてくれることになり東屋でコーヒーご馳走になりまったり。話を聞くとクリスチャンだった。この旅で初めてクリスチャンからのもてなしをしてもらった。すっかりムスリム集落だと思い込んでいた。隣の村はブトン人で漁師が多いがこの村には漁師はいない。すっかり常連になりつつある近くのワルン夕食を済ませる。今日は夜市があって賑やかだ。敷地内の砂利にテントを張らせてもらい水浴びもさせてもらう。とてもみんな親切で助かった。夜になると蚊も少なく山からの風が冷たくて気持ちいい。この島には2800mの高い山がある。ゆっくり休めたし明日こそは30キロ漕ぐ。


2月9日

6時起床。朝から近所のおじさんが紅茶を出してくれた。みんなに見送られ8時過ぎに出発。我々のクリスチャンのイメージはこの村を訪れて大きく変わった。のんびりドローンと一眼で撮影しながら昼過ぎに25キロ漕いでワンマナ村に上陸。早速目の前の家で水浴びさせてもらう。おじさんがワルンへ案内してやると言ってきたので一緒に行くと奢らされた。キビーがブチギレて追い払う。そのあと最初に水浴びと飲み物をご馳走してくれたおじさんがきて今度は一緒にコンビニに行くとタバコを奢らされる。優しいおじさんと思った2人にたかられて不信感。昼間っから暇そうにしてるおじさんには要注意だ。その後は海辺の人と関わるのをやめて別の場所に移動。村の空き家の東屋でダラダラしてると隣の家のおじさんが村長を紹介してくれた。とてもナイスガイな村長だった。その後ビーチに戻り若者達と話してるとまた別の気さくなおじさんが来てコーヒーとパンご馳走になる。おじさんの家では大人数名でココナッツミルクを収穫している。みんな良い人ばかりでユーカリオイル塗らせてもらったりダウンガータルという葉を使った伝統療法を体験させてもらったりした。ダウンガータルは葉をこすりつけて棘を刺すことで血行を良くしており、筋肉疲労に効くらしい。自分は痛すぎて無理だったが、キビーは垢すりより痛くなく効果あったらしい。擦った後はかぶれてブツブツができるが痛みはなくポカポカする。そのまま夕飯食べて水浴びさせてもらって近所の空き家の東屋で就寝。集落に早い時間に上がると話す人の数も増えるので人疲れしてしまう。人と交流するのは楽しいが、自分たちの話を何度も繰り返して別の人に説明するのが苦痛になる。といって誰もいないビーチで寝るのは交流もできないし勿体無い。なかなかこのバランスが難しい。旅終盤にして人疲れがかなりある。


2月10日

6時起床。パン買って食べていると近所のおばちゃんにコーヒーご馳走になる。8時過ぎに出発。まずは17キロ先のワプレア(ネラヤン)村を目指す。村に近づくにつれ雨雲接近していたので、村に上陸せずに岬を先に目指そうかと思ったが、疲れているのでやっぱり上陸。12時頃に上陸するとともに雨雲に捕まり強風。岬に行かずに良かった。上陸すると早速漁師達がもてなしてくれて、昼飯をご馳走になる。村の名前の通り漁師(ネラヤン)が多い村で風のことや季節のことなど細かく説明をしてくれた。11月から1月までは雨季で西風が強い。2月は季節の変わり目で北寄りの風に変わり4月から9月はまた東風の乾季となり10月は北寄りの風で穏やかになる。東風の季節は強風によるうねりで時化るとのこと。居心地いいが先に進まないと行けないので、13時半頃に再出発。追い潮でナムシナ村で睡魔と戦いながらも到着。手招きしている人がいるので上陸すると自分達のことをFacebookで知った若者達に歓迎され写真タイム。ワルンがこの村にはないとのことで結局次のワユラ村へ移動。上陸するなりまた自分達のことを知る男性がいた。ワルンはこの村にもないとのこと。水浴びさせてもらい、散歩するも食べ物はない。コーヒーとパンを食べて気を紛らわす。あまりにひもじいのでキオスでポップミー食べているとそれを見かねた店のおばちゃんが米をくれた。腹一杯になりビーチに戻ると子供達がたくさんいた。最近どこに行っても子供達には中国語のような言葉でバカにされるので運天がブチギレて追い払う。テントを張った後もまた来たので追い払って、近所の大人に相談して注意してもらえることになり一件落着。大人達は理解してくれたようで助かった。インドネシアでは日頃から多くの中国人が仕事で来るので、きっとそれを聞いて真似していつもバカにしているのだろう。自分はなるべく無視しているが、今回の旅では子供達のしつこさがなかなか辛い。分別のつかない子供に怒っても子供は理解できないので、大人に言うのが一番良い解決法かもしれない。


2月11日

6時起床。学校の前でナシクニンをゲット。近所のおばちゃんにもパイナップルもらう。今日の見送りはおばちゃん1人。8時過ぎに出発。まずは6キロ先の以前お勧めされたカフェへ。アイスコーヒー飲んでダラダラ。1時間くらい休んで再出発。北西の風で楽に進む。途中でかいミーバイが浮いているのを運天が発見。まだ生きていたのでその場でシメて持ち帰って食べることに。計23キロ漕いでまたお勧めされた海沿いのカフェへ。東屋もwifiもあって快適そう。上陸して話しかけると自分達のことを店のオーナーは知っていて歓迎してくれた。パガマ出身者でスラ諸島の知り合いも多い。魚を見せると喜んで男性陣が捌いて焼いてくれた。半身は刺身用に取っておく。近くでビール買って冷やして久しぶりのキンキンに冷えたビールをいただく。魚も最高に美味しく、集まった漁師達とみんなで食べた。その後はまったり東屋でくつろぎ就寝。明日でようやくブル島最終日。


2月12日

6時起床。ダラダラと朝食と水を買い出し9時前に出発。最近疲れすぎて陸上で素早く動けなくなってきた。のんびり漕いで20キロ弱にあるブル島最大の町ナムレアの外れに上陸。昼飯を探し回るがない。暑さと空腹で疲れ果てる。仕方なくキオスでカップラーメン買ったら親切なおばちゃんが米とおかずをくれた。満腹になっても力は湧いてこない。疲れはピーク。なんとか明日の横断のために気合い入れてまた20キロ漕いで西端のペラ村へと上陸。下潮はかなり南へ流れているようで追い風と追い潮で2時間半で来れた。明日は北東に島があるので午後からの下げ潮に捕まらないように午前中に北に上り島に近づきたい。ここ1週間以上弱まっていた北風の季節風は明日からまたしばらく吹く。タイミング悪すぎるが次に収まるまではもう待てない。明日はこの旅最後の難しい島渡りになりそう。上陸するとすぐハルディが話しかけてくれて家に招いてくれた。とても優しくてナイスガイ。wifiと夕飯もご馳走になり、家の前にテント張らせてもらい、明日に備えて早めにテントに入る。


2月13日

5時起床。朝からわざわざハルディがナシクニンを10個買って持たせてくれた。本当に気の利く青年だ。みんなに見送られ7時に出発。朝の予報では朝から7mの北西風。不安だったが海に出ると風はない。島を離れてすぐ南に流されたがすぐ流れはなくなり、追い潮で順調に50°で上っていく。風も上がる気配はなく問題なし。windyの風予報はこのエリアではやはり当たらない。あっという間に3時間で島に接近。西の無人島はかなり流れていて、後半は一気に南に吸い込まれていく。なんとか漕ぎ上って島にへばりつき北側に。やはり島の近くはどこも南に流れている。ハヤサ村で昼休憩。力入れて漕いでいたので尻と腰が擦れてかなり痛い。まだ時間も早いし明日以降の予定を考えてもう少し漕いで先に進むことに。北の岬周辺の砂地は亀だらけ。マングローブの入江の奥にあるマサオイドゥスヌエ村に到着。上陸するなり大勢が集まりお祭り騒ぎになって圧倒される。村長のジャイランが家に招いてくれて本日2度目の昼飯。カイ諸島から金の鉱山で働くリフティが川に案内してくれて水浴び。近くのWi-Fiもゲットして快適。村長はこの島で金を掘り当て、これから許可が下りたら採掘を始める。民間企業は採掘に入らず村に全て還元する仕組みを作るとのこと。あと10年したらこの村も大きく変わることは間違いない。帰りの飛行機を追加料金なしで21日に早められたので、ショートカットしてあと4日でアンボンに到着する予定。疲れ果てていた体も終わりが見えると少し元気になった。


2月14日

7時起床。朝飯大量に頂き、8時半に出発。ドローンで撮影も。ケラン島へ流れに乗って高速で移動。島に近づくと反転流に捕まる。キビーは少し離れていたのでそのまま本流に乗ってあっという間に見えなくなった。自分達はルームランナー状態なのでなんとか島に近づき反転流を脱出。キビーは反転流に乗り岸沿いで無事合流。そのままセラム島まで潮に乗って行った方が楽だったのかもしれない。時間もあるのでケラン島のティフ村に上がり昼休憩。漁師のおっちゃんに案内してもらいキオスでキンキンに冷えたスプライトを飲む。店のおばちゃんが昼飯食べていけと言ってくれてご馳走になる。噂はあっという間に広がり人だかりができ、滞在時間2時間にもかかわらず盛大にお見送り。岸沿いを漕いで隣のティアンべンデラ村へ上陸。葬式の準備で女性陣は大量の魚を捌いていた。浜にいたムスワリという男性に案内してもらい川で水浴び。その後は彼の家でゆっくりさせてもらい夕飯までご馳走になる。彼は農家で生姜の栽培をしている。村人も適度な距離感で快適。ビーチ前に住むアーミーにコーヒーご馳走になり就寝。最近夜は涼しくて気持ちよく眠れる。明日は潮に乗って一気にセラム島を南下したい。セラム島まで行けばウォーレシア横断達成となる。


2月15日

6時起床。ムスワリの知人の家でナシクニン買って食べる。蒸しパンとパイナップルを昼飯用にくれた。8時過ぎ出発。今日でようやく島渡りも終了し懐かしのセラム島へと辿り着ける。アンボン島もくっきり見えていよいよ旅の終わりを感じる。追い潮に乗りながら今日も快調。思っていたほど南への強い流れはないので、方角を少し南に変更して最短距離で湾の南側の集落を目指す。3時間漕いだあたりでコビレゴンドウの群れに遭遇。カヤックのすぐ近くまで寄ってきても逃げないので飛び込むことに。10頭くらいの群れでそのうち1頭は近くで泳ぐことができた。30分ほど楽しむ。最後は仲間達と合流してみんなで一斉に潜って海中に消えて行った。島渡り最後にこんなドラマチックな出来事が起きるとは感動。天からのご褒美か?本当に貴重な体験をさせてもらった。この先の岬を周り以前お世話になったおっちゃんがいる集落へ行こうかと思ったが、明日の朝は干潮でそこはリーフが浅いのでやめておくことに。干潮でも出やすい近くのアイルパパヤ村に上陸。上陸するなりアブランが飯と水浴びさせてくれるとのことでバイクで送ってもらう。この村は崖にあるため、海岸からはかなりの急登。彼の実家で村人達と話しながらゆっくりさせてもらいWi-Fiもゲット。夕方はバイクで奥の集落まで散歩に連れて行ってもらう。高台のため景色は最高。村人もみんな笑顔でいい村だ。再会もいいけどこうしたまた別の村を訪れて新たな発見があることも面白い。西日が照りつける水平線に数日前までいたブル島がうっすら見える。よくこんな遠くまで漕いできたもんだ。もう旅が始まって31日。出発した日がはるか昔に感じるほど毎日濃厚な日々を送っている。家に戻ってドーナツいただき、砂浜でテント貼って就寝。今日でテント泊も最後。明日は以前お世話になった島の東屋で雑魚寝予定のため今日でテント泊は終了。もう1ミリも漕ぎたくないけどまだ旅は終わって欲しくない。あと2日大切に過ごそう。


2月16日

6時半起床。朝から週一のアンボン行きのフェリーが着くためビーチは人が多い。アブランの家でゆっくりして9時すぎ出発。今日も風はなく穏やかで気持ちいい。前回この辺りを漕いだ時は曇りで風も強くうねりも大きかったが今日は海からの景色をのんびり楽しめた。流れは相変わらず速く、あっという間にセラム島の先端へ。前回は西に流れていたのでなるべく東寄りのコースで行くことに。島近くは少し流れていたものの潮止まりなのか前回ほどの流れは感じず無事2度目のティガ島到着。早速村長の息子が出迎えてくれて自分たちのことを覚えていてくれたようだ。生憎村長は仕事でジャカルタへ行ってたので再会できず。テレビ電話で少し話せて良かった。海沿いに立つ東屋が気に入って前回はここで寝た。村の様子は特に2年前と変わらずのんびりしていて良い。村の人達も覚えていてくれたようだ。村長の奥さんに昼飯ご馳走になり、午後から魚突き。潮あたりがよく透明度も良いし、サンゴもきれい。一匹だけ美味い魚をと意気込んで行ったが、下手すぎて収穫なし。運天が獲ってきた魚を夕飯に。米とラーメンもまたご馳走になる。夜も3人で東屋でまったりお喋り。前回は天気予報を一切見ずに行ったが、今年はwindyをかなり活用した。冒険的な意味で言えば見ないほうがより価値は上がるのかもしれないが、実際は海流の動きや風向きを見ないと渡れない海域であった。手持ちのあってるかわからない潮汐表だけではどうしても時間差が生じて転流のタイミングを掴めない。ただwindyをこまめにチェックすることで得た知識は大きい。インドネシア全体のこの季節の風や海流の特性を俯瞰して知ることができた。次にまたインドネシアへ来ることになっても、ルート選定には大きく役立つことになると思う。いよいよあと1日。これが終わればまた次の旅が始まる。次に繋がる1日にしよう。


2月17日

6時半起床。蚊に襲われたり5時半のアザーンの太鼓とともに鶏が鳴き出しゆっくり眠れず。8時過ぎに出発してまずは5キロ漕いで朝飯調達に対岸のアンボン島の村へ。キオスでカップラーメン食べるてると男性が話しかけてきて家に招待される。ナシゴレンと紅茶をご馳走になり朝食完了。10時くらいから再度漕ぎ出す。追い風に乗って順調。あっという間に南岸へ回り込む。途中小さなコリコリに乗った男の子2人がいて驚いた。小さなうちからこうして船に乗って遊んでいれば逞しくなるだろう。前回同様後半は左前からの向かい風でしんどかった。最近腰痛がひどく力入れて漕ぐと痛い。なんとか市街地近くまできてあとは風裏をのんびり進み前回も世話になったゴールのラハダイブパッカーズへ到着。事前に連絡していたので事情はわかってくれていたので快く受け入れてくれた。これで33日間1000kmに及ぶ旅が無事終わった。本当に長くて辛いことばかりだった。人の優しさに触れなければ頑張れなかったかもしれない。自分の弱さや限界もよく理解できたと思う。恐らくもうこれ以上のスケールの旅はできないはず。本当にいい経験をさせてもらった。上陸後はクリスチャン集落に行ってビールと豚肉料理食って打ち上げ。もう何もやる気も起きない完全無気力状態。すべてを出し切った。まだ今は次もハードな遠征をしたいなんて思えないけど、また数ヶ月したらこの気持ちも忘れてハードな計画を立てているのだろう。いつまで続けられるか分からないが、どんな形になろうと3人の旅はこれからも続くはず。



旅の総括


無事、本遠征最大の目的であったウェーバー線を越えることができました。

これにより、2023年のウォーレス線横断、2024年のライデッカー線横断に続き、今回を含む過去3回の挑戦で、インドネシアに引かれた3本の生物境界線すべてを人力のみで横断することができました。

さらに、ゴール地点の変更により、後半のセラム島以降の航路が2024年に漕いだルートと重なったことで、過去2回の航海と合わせて、スラウェシ島からニューギニア島まで1500kmに及ぶウォーレシア諸島横断(カヤックとしては史上初)も同時に達成することができました。

約6万年前の氷河期においても、陸続きとはならなかったウォーレシア諸島を人類は人力で移動したとされています。先人たちもまた、深く速い海流が流れるこの生物境界線を越えてきたはずです。人力という原始的な方法で漕ぐことで、彼らと同じ海に向き合い、同じ想いを共有できたように感じています。


また、本遠征では過去最多となる40もの村を訪れ、現地の人々との交流を深めることができました。1000kmを移動すれば、同じ国であっても環境は大きく異なり、そこに暮らす人々の生活様式や漁法も多様です。それぞれがその土地の自然環境に適応しながら、たくましく、そして豊かに暮らしている姿が強く印象に残りました。

インドネシア訪問は2年ぶりでしたがこの短期間でもネット環境などに大きな変化が見られました。今後も近代化に伴い大きな変化が続いていくとは思いますが、人々の営みの根本は変わることはないでしょう。土地とともに培われてきた先祖からの叡智は、これからも大切に後世に受け継がれていくはずです。


今遠征を行うにあたり日本から応援頂いた皆様、

サポートして頂いたメーカー各位、

現地でお世話になったインドネシアの皆様、

迷惑ばかりかけている家族に心から感謝申し上げます。



南平純



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